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楼閣山水図屏風 袁江・王雲筆(ろうかくさんすいずびょうぶ えんこう・おううんひつ)

 中国の屏風(びょうぶ)を紹介します。ずいぶん大きくて立派な屏風でしょう。

  • 楼閣山水屏風
    楼閣山水屏風
    袁江筆
    <京都国立博物館蔵>
  • 楼閣山水屏風
    楼閣山水屏風
    王雲筆
    <京都国立博物館蔵>

 金色の紙に、墨(すみ)とあざやかな色絵の具を使って、山々がそびえ立ち、水の流れ落ち広がるようすが描かれています。山あいには立派な御殿(ごてん)や人々の姿も見えます。

 この屏風絵は清(しん)時代の康煕(こうき)59年(1720)、当時江蘇揚州(こうそようしゅう)で活躍(かつやく)していた袁江(えんこう)と王雲(おううん)という二人の画家によって描かれています。八つ折りの屏風が対(つい)になる八曲一双(はっきょくいっそう)という形式の屏風で、袁江が夏の景色を王雲が秋の景色を描いて、季節を分けています。画面の大きさはそれぞれ縦(たて)246センチ、横490センチ、神獣(しんじゅう)の姿を彫刻(ちょうこく)した足が付いていますので、屏風の高さは3メートルを優(ゆう)に超えます。屏風自体は、絵とは少し時期の離(はな)れた後世(こうせい)のものですが、描かれた当初の形式を基本的に踏襲(とうしゅう)しているようです。

 屏風には、風を屏(ふせ)ぐという意味がありますが、単に室内に立てて風よけとして用(もち)いられるばかりでなく、絵や書をはりつけて鑑賞(かんしょう)し、不要の際には折り畳(たた)んでしまい込むことのできる、開閉自在(かいへいじざい)の装飾(そうしょく)家具として活用されてきました。

 日本では今でも、お祝いの席などで舞台(ぶたい)の後ろに金屏風が置かれたりすることがありますが、屏風はそもそも中国に由来(ゆらい)するものなのです。

 屏風の言葉は、いまから2100年ほど前、中国の漢(かん)時代の書物にすでに見え、用具としての発生はさらにそれ以前にさかのぼります。当初は一枚ものの衝立(ついたて)でしたが、後には、二枚・四枚・六枚・八枚等、何枚かをつなぎ合わせ、折り畳むこともできる形式のものが出てきました。5世紀の南北朝(なんぼくちょう)、宋(そう)の時代に出版された『世説新語(せせつしんご)』では、屈曲(くっきょく)して世間(せけん)にこびへつらい、身の安全をはかる人物をたとえて、屏風のようだといっていますが、折り畳み形式の屏風がこの時代に普及(ふきゅう)していたことを物語っています。この形式の屏風は、中国では後世、囲屏(いへい)と呼ばれて、衝立形式の屏風と区別されるようになります。

 9世紀、唐(とう)の張彦遠(ちょうげんえん)が著(あら)わした『歴代名画記(れきだいめいがき)』という書物には、唐時代に描かれた六扇(ろくせん=六つ折り、六曲)や十二扇の絵屏風が記録されています。唐制にならってわが国で作られ、正倉院(しょうそういん)宝物(ほうもつ)として伝わる六扇の鳥毛立女(とりげりつにょ)屏風や、近年、中国で発掘(はっくつ)される唐時代の墓の壁画(へきが)からわかることですが、唐時代の絵屏風は各扇縁取(ふちど)りが付き、絵は扇(おうぎ)ごとに独立して連続していませんでした。ひもでつなぐため、どうしても縁が必要だったのです。

 ところが、中国の屏風の形式を取り入れた日本では、折れ目の部分に工夫(くふう)をこらし、紙の蝶番(ちょうつがい)と呼ばれる独特の方式をあみだして、この縁取りを取り去ってしまいます。その結果、従来、扇ごとに分断(ぶんだん)されていた画面が、一つの大画面にまとまり、表現上も格段(かくだん)の進歩がうながされることになったのです。

 中国の画中画(がちゅうが=絵の中に描かれた絵)などを見ると、大体、14世紀、元(げん)時代頃までは、屏風に縁取りが認められますが、明(みん)の終わり頃には縁取りが消えています。この変化には、日本から輸出(ゆしゅつ)された屏風の影響(えいきょう)があったようにおもわれます。

 15世紀初めから16世紀中頃にかけての室町(むろまち)時代、明に対して、花鳥図(かちょうず)などを描いた金屏風がたびたび進物(しんもつ)として贈られていたことは、日中双方(そうほう)の記録によって確かめることができます。日本から贈られてきた縁取りを取った大胆(だいたん)な構図(こうず)と、金地着色のまばゆい色彩は、さぞかし当時の中国の人々の目を奪(うば)ったことでしょう。

 明時代後期には、金箋(きんせん=金紙)が画材(がざい)としてさかんに用いられますが、これも日本から輸出される屏風や扇子(せんす)に触発(しょくはつ)されてのことのようです。

 11世紀の北宋(ほくそう)時代山水画の雄大(ゆうだい)な景観(けいかん)を復活(ふっかつ)させた袁江がその画風(がふう)を作り上げた要因(よういん)として、明末から強まった西洋画の間接的(かんせつてき)な影響が指摘(してき)されていますが、蝶番方式を採用して縁取りをなくし金地着色で描かれたこの屏風をみていると、明時代にもたらされた日本の屏風がその下地(したじ)になっているような気もします。

美術室 西上
1996年1月13日

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