博物館ディクショナリー

大昔から人間は右利きだったのか(おおむかしからにんげんはみぎききだったのか)

 いつから人間(にんげん)には右利(みぎき)きが多いのでしょうか。右利きの人が描(えが)いた動物(どうぶつ)の側面図(そくめんず)は、普通(ふつう)、頭(あたま)が左(ひだり)になりますが、ヨーロッパの旧石器(きゅうせっき)時代の洞窟壁画(どうくつへきが)の動物の多(おお)くも頭が左になっているので、当時(とうじ)すでに右利きが多かったと考(かんが)えられています。また、洞窟の壁(かべ)に手(て)を当(あ)てて、周囲(しゅうい)に絵の具(えのぐ)を塗(ぬ)って手を塗り残(のこ)した「手形(てがた)」のほとんどが左手であることからも、旧石器時代の人の多くは右利きであったと推定(すいてい)されています。

 器物(きぶつ)の特徴(とくちょう)から、製作者(せいさくしゃ)や使用者(しようしゃ)の利き手(ききて)を推定できる場合(ばあい)もあります。今から約1万年前、縄文(じょうもん)時代のはじめに作(つく)られた投げ槍(なげやり)の先(さき)の有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)は、日本列島(にほんれっとう)におけるそのような資料(しりょう)のうち、最(もっと)も古(ふる)いものの一つです。京都府井手町上井手出土品(きょうとふいでちょうかみいでしゅつどひん)を観察(かんさつ)しましょう。この有舌尖頭器(ゆうぜつとっき)の表面(ひょうめん)には、細長(ほそなが)くて浅(あさ)い凹(くぼ)みがほぼ平行(へいこう)に並(なら)んでいます。これは、鹿(しか)の角(つの)などでできた剥離具(はくりぐ)の先端(せんたん)を、加工(かこう)する縁辺(えんぺん)に強(つよ)く押(お)し当(あ)てて石(いし)を薄(うす)く欠(か)き取(と)る、押圧剥離(おうあつはくり)という方法(ほうほう)で石器を仕上(しあ)げた痕(あと)です。

  • 有舌尖頭器(京都府井手町上井手出土)

 観察する縁辺が上下方向(じょうげほうこう)になるように置(お)いた状態(じょうたい)で、【2】のように剥離痕(はくりこん)が右上(みぎあ)がり左下(ひだりさ)がりになる押圧剥離(おうあつはくり)を「右上がりの押圧剥離」、【1】のように左上がり右下がりになる押圧剥離を「左上がりの押圧剥離」と呼(よ)びましょう。ある石器を置いた時、押圧剥離痕(おうあつはくりこん)が右上がりに見えるか左上がりに見えるかは、各辺(かくへん)の傾(かたむ)きと、その辺に剥離具(はくりぐ)を当てた角度(かくど)によって決(き)まります。対称形(たいしょうけい)の石器の直線的(ちょくせんてき)な左右(さゆう)の辺に対(たい)し、決まった角度で剥離具(はくりぐ)を当てて「右上がりの押圧剥離」を繰(く)り返(かえ)しした場合は、前記の二つの条件(じょうけん)の違(ちが)いに応(おう)じて、たとえば【3】〜【5】といった剥離痕が残ることになります。

剥離痕
剥離痕の模式図 (難波洋三作図)

「右上がりの押圧剥離」でも、剥離痕は左上がりに見える場合があることに注意(ちゅうい)してください。上井手例(れい)の押圧剥離痕は【3】に近(ちか)いですね。もし、剥離具の持(も)ち方(かた)や当(あ)て方や石器の形(かたち)が同(おな)じでも、上井手例の製作者と利き手が違(ちが)う人が作業(さぎょう)をすれば「左上がりの押圧剥離」になり、上井手例のそれとは左右反対(はんたい)の剥離痕が残るはずです。ところが、これと同じタイプの有舌尖頭器の押圧剥離は、ほとんどが「右上がりの押圧剥離」のようです。このことから、これらの有舌尖頭器の製作者の大多数(だいたすう)は利き手が同じであったと推定できます。おそらく右利きだったのでしょう。

 有舌尖頭器のようにみごとな押圧剥離で仕上げた石器は縄文時代でも後(のち)には少(すく)なくなります。しかし、辺に対する斜交(しゃこう)が明確(めいかく)な押圧剥離痕の多くは「右上がりの押圧剥離」によるもので、「左上がりの押圧剥離」によるものはあまりありません。製作者のほとんどは右利きで、有舌尖頭器の製作に使ったものと同じような剥離具を同じように使う伝統(でんとう)が、ずっと後まで受(う)け継(つ)がれていったのでしょう。ただし、朝鮮半島北部(ちょうせんはんとうほくぶ)からシベリアにかけての地域(ちいき)には、押圧剥離が「左上がりの押圧剥離」主体(しゅたい)になっている新石器文化(しんせっきぶんか)があります。また、北海道(ほっかいどう)から東北(とうほく)地方に分布(ぶんぷ)する有舌尖頭器(立川(たちかわ)ポイント)の押圧剥離も、「左上がりの押圧剥離」主体のようです。これらの文化をになった人の多くが左利きだったとは考(かんが)えられませんから、剥離具の構造(こうぞう)や使い方が本州付近(ほんしゅうふきん)の縄文文化とは違っていたのだと思(おも)います。

 アフリカや南(みなみ)アジアには、左手を熱湯(ねっとう)を入(い)れた穴(あな)の中(なか)に入れたり左手を縛(しば)ったりして、左利きを右利きに矯正(きょうせい)する民族(みんぞく)があるそうです。日本でも左利きを右利きに変(か)えようとする志向(しこう)は、以前(いぜん)はかなり強(つよ)かったように思います。しかし、最近(さいきん)は、無理(むり)な矯正(きょうせい)を控(ひか)える親(おや)が多くなりました。このように、左利きを右利きに変える圧力(あつりょく)は、社会(しゃかい)や文化によって大きく異(こと)なっています。ここで取(と)り上(あ)げた有舌尖頭器については、機会(きかい)があるたびに剥離(はくり)の方向を確認(かくにん)しているのですが、今のところ、左利きの人が作ったと考えられる例はありません。この時期(じき)には、左利きの矯正が強く行(おこな)われていたのでしょうか。それともここで指摘(してき)したものとはさらに別(べつ)の要因(よういん)が、剥離痕の方向の決定(けってい)に関与(かんよ)しているのでしょうか。

 大昔の人々の利き手は、今回(こんかい)とりあげた製作痕(せいさくこん)のほか、使用痕(しようこん)や文様(もんよう)の特徴(とくちょう)などによっても知(し)ることができます。展示品(てんじひん)の中から、皆(みな)さんもなにか見つけてください。

考古室 難波洋三
2002年7月13日

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