博物館ディクショナリー

京都の高級漆器店 美濃屋(きょうとのこうきゅうしっきてん みのや)

 今回は、ちょっぴりぜいたくで、とってもすてきな器(うつわ)を商(あきな)っていた「美濃屋(みのや)」という、京都の高級漆器(しっき)店のお話です。

 漆器は、文字通(もじどお)り漆(うるし)が塗(ぬ)られた器。漆は、ウルシという木から採(と)れる粘(ねば)り気(け)のある樹液(じゅえき)で、乾(かわ)くと大変硬(かた)くなり水を弾(はじ)きます。顔料(がんりょう)を混(ま)ぜて絵の具のように使ったり、器の表面(ひょうめん)に貝殻(かいがら)や金属(きんぞく)の粉(こな)などを貼(は)り付(つ)けて文様(もんよう)を作る螺鈿(らでん)や蒔絵(まきえ)などの工芸で、強力な接着剤(せっちゃくざい)として使ったりもします。丈夫(じょうぶ)な漆器を作り、その上にさらに漆で美しい装飾(そうしょく)をほどこすには、大変な手間(てま)と暇(ひま)がかかります。そのような漆器は高級品として扱(あつか)われました。美濃屋はこの高級品を商うお店でした。

 美濃屋の創業(そうぎょう)は安永元年(あんえいがんねん:1772)。現代のお店のように既製品(きせいひん)を並(なら)べて販売(はんばい)するのではなく、伝統的(でんとうてき)な受注生産(じゅちゅうせいさん)の形をとっていました。受注生産は、お客さんの注文を聞いてはじめて品物(しなもの)を作る方法です。美濃屋の主人(しゅじん)は、お客さんの好みや家柄(いえがら)などを考えながら、どんな漆器を作るのかを決めました。器の形・大きさ、漆の色・艶(つや)、図柄(ずがら)、文様といったことを一から考え決めていくのです。注文を受けてから製品(せいひん)がお客さんに納品(のうひん)されるまでに1年から3年ほどかかったと言いますから、どれほどじっくりとものづくりが行われていたか、想像(そうぞう)できますね。

 このようなお店に来るお客さんは教養(きょうよう)も高く、ウイットを好む人も多かったでしょう。美濃屋の主人には、優(すぐ)れた美的(びてき)センスだけでなく、お客さんと対等(たいとう)に話せるくらいの教養が求(もと)められました。例えば、古典文学作品(こてんぶんがくさくひん)の一場面をそのまま器に描(えが)くのではなく、作品をよく理解し、そのエッセンスを気(き)の利(き)いたデザインにまとめてみせなければならないのです。また、そのように製品を作ってくれるよう、職人(しょくにん)に対して的確(てきかく)な指示(しじ)を出せるほどに十分な、技術的知識(ぎじゅつてきちしき)も必要でした。

 美濃屋のすごいところは、主人の手腕(しゅわん)に限られません。主人の指示に応(こた)え、その期待以上(きたいいじょう)の品質(ひんしつ)の漆器を作る、大勢(おおぜい)の優秀(ゆうしゅう)な職人たちに支(ささ)えられていたところにもあります。

  • 漆器老舗美濃屋保存資料の内「椀類」
    漆器老舗美濃屋保存資料の内「椀類」
    <京都国立博物館蔵>

 長く使ってもゆがみやひびのこない上等(じょうとう)な漆器を作るには、あらゆる工程(こうてい)で細心(さいしん)の注意を払(はら)い、丁寧(ていねい)に仕事をする専門(せんもん)の職人が必要でした。木地(きじ)を加工(かこう)する木地師(きじし)や轆轤師(ろくろし)、その上に漆を塗る塗師(ぬし)、さらに金(きん)や銀(ぎん)などの金属粉(きんぞくふん)を使って装飾を加える蒔絵師(まきえし)たちです。しかも、美濃屋の暖簾(のれん)を支えた職人は、それぞれの高度(こうど)な技術だけでなく、豊(ゆた)かな芸術的才能(げいじゅつてきさいのう)も持ち、創意工夫(そういくふう)を怠(おこた)らない名工(めいこう)とよばれる人々でした。

 明治(めいじ)時代以降(いこう)、「作家(さっか)」という考え方が生まれ、職人たちは徐々(じょじょ)に個人単位(こじんたんい)で仕事をするようにもなります。しかし、お客さんの要望(ようぼう)を理解し、十分な技術的・文化的知識と芸術的センスを併(あわ)せ持った主人と、時には挑戦的(ちょうせんてき)とも言えるその指示に対し、技術と工夫とで応えた名工たちとの共同作業(きょうどうさぎょう)は、より厳(きび)しく洗練(せんれん)された漆器を創作(そうさく)したように見受(みう)けられるのです。美濃屋製の漆器は、「美濃屋」という一軒(いっけん)のお店の下(もと)に結(むす)ばれたプロ集団(しゅうだん)の連携(れんけい)プレーによって、その品質(ひんしつ)と品格(ひんかく)を保(たも)たれていたと言えるでしょう。

 戦争中(せんそうちゅう)の昭和(しょうわ)18年(1943)、厳しい時世(じせい)ですが、美濃屋は、昭和天皇(てんのう)の第一女、照宮(てるのみや)の婚礼(こんれい)のために和食器(わしょっき)を揃(そろ)えて納(おさ)めています。それほどの実力(じつりょく)ながら、終戦(しゅうせん)の年、第九代目当主(とうしゅ)・故稲垣孫一郎氏(こいながきまごいちろうし)によって、美濃屋の暖簾は下(お)ろされました。材料と職人の不足(ふそく)から、今までの品質を保てないとの判断(はんだん)からです。ものづくりに対する激(はげ)しく妥協(だきょう)を許(ゆる)さない意識の表れです。

  • 漆器老舗美濃屋保存資料の内 「照宮内親王殿下御婚儀御調度和食器参考品」
    漆器老舗美濃屋保存資料の内
    「照宮内親王殿下御婚儀御調度和食器参考品」
    <京都国立博物館蔵>

 平成(へいせい)2年(1990)、稲垣氏は美濃屋の商品見本や歴代(れきだい)当主の愛蔵(あいぞう)の漆器など、合計260件強(きょう)をその詳細(しょうさい)な目録(もくろく)と共に当館(とうかん)に寄贈(きぞう)されました。このコレクションは、良き時代の京都のものづくりの一端(いったん)を伝える貴重(きちょう)な資料となっています。一生に一度でも、最高級の漆器を注文するチャンスがあるとしたら、みなさんはどんな漆器を注文しますか?夢の漆器を想像しつつ、優(すぐ)れた技(わざ)と豊かな遊(あそ)び心(ごころ)に満(み)ちた伝統の京漆器を、どうぞお楽しみください。

工芸室 永島
2001年3月10日

京都国立博物館 Twitter

ご来館くださる皆様へ
京都国立博物館からのお願い

↑ ページのトップへ