博物館ディクショナリー

神護寺経(じんごじきょう)

 皆さんは、「篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬(うやま)う。三宝は仏法僧(ぶっぽうそう)なり」という一節(いっせつ)が誰(だれ)の言葉か知っていますか(正解は最後にあります)。仏宝(ぶっぽう)・法宝(ほうぼう)・僧宝(そうぼう)の三宝のうち、法宝とは、お釈迦様(おしゃかさま:仏(ほとけ)様)がお説(と)きになった教(おし)え(お経(きょう))が清(きよ)らかで変わることのない宝物(たからもの)のようだというので法宝と呼ばれるのです。

法宝であるお経の集大成(しゅうたいせい)を中国(ちゅうごく)や日本では、一切経(いっさいきょう)または大蔵経(だいぞうきょう)と呼んでいます。一切経(大蔵経)というのは、インドから中国に伝わった経(仏様の教え)・律(りつ:信徒(しんと)が守るべき規則(きそく))・論(ろん:教えの注釈(ちゅうしゃく))に加えて、中国の高僧(こうそう)が著(あらわ)した仏教の書物(しょもつ)などを合わせて、1セットとしたものです。その1セットは、およそ5400巻(かん)という大部(たいぶ)な経典(きょうてん)からなり、1セットを書写するのに必要な紙の枚数は、約9万枚といわれています。

 このような大事業(だいじぎょう)を藍色(あいいろ)の紺紙(こんし)に金泥(きんでい)の文字で行ったのが、紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう)と呼ばれるお経です。わが国では平安(へいあん)時代中期以降(ちゅうきいこう)、しばしば紺紙金字一切経が書写(しょしゃ)されましたが、この紺紙金字一切経も平安時代後期(こうき)12世紀中頃に書写されて、京都高雄(きょうとたかお)にある神護寺(じんごじ)に奉納(ほうのう)されたことから、「神護寺経」と呼ばれています。『神護寺略記(りゃくき)』という記録(きろく)によれば、鳥羽天皇(とばてんのう:1103~56)が発願(ほつがん:願いをおこす)されたものを後白河法皇(ごしらかわほうおう:1127~92)の時代になって施入(せにゅう)されたものと伝えています。

 経文(きょうもん)に先立(さきだ)つ見返(みかえ)し(表紙の裏の部分)には、簡略(かんりゃく)でパターン化した図様(ずよう)とはなっていますが、金銀泥(きんぎんでい)で霊鷲山(りょうじゅせん)を背景(はいけい)にお釈迦様が説法(せっぽう)している場面が描(えが)かれています。お釈迦様の後方(こうほう)に見える鳥のような格好(かっこう)をした山が霊鷲山という山です。霊鷲山は、インドに実際(じっさい)ある山で、お釈迦様が最も多く説法された場所として知られています。

  • 雑阿毘曇心論巻第三(神護寺経)
    重要文化財
    雑阿毘曇心論巻第三(神護寺経)
    <神護寺蔵>
    ※画像はモノクロです。

 中インドかつてのマガダ国の首都(しゅと)、王舎城(おうしゃじょう:現在のラージギール)の北東にある山で、山名(さんめい)の由来(ゆらい)はその形が鷲(わし)に似ているからとも、鷲が多く棲(す)むからともいわれています。もちろん、現在でも仏教遺跡(ぶっきょういせき)として仏教徒の参拝(さんぱい)が絶(た)えません。また表紙には金銀泥で宝相華唐草文(ほうそうげからくさもん)という文様(もんよう)が描かれています。

見返し絵に続いて一行の空白(くうはく)があり、最初にお経の題名(だいめい)が書き写してありますが、題名の下の方には「神護寺」という朱方印(しゅほういん:朱色(しゅいろ)で縦長(たてなが)のはんこ)が捺(お)されています。

 このようなお経は、だいたい10巻ごとに経帙(きょうちつ)と呼ばれる竹簀(たけす)にくるまれました。帙というのは、書物の損傷(そんしょう)を防(ふせ)ぐために厚紙(あつがみ)などに布を貼(は)って作るおおいのことです。この神護寺経には、竹簀の縁(ふち)には錦(にしき)と呼ばれる布、裏には綾(あや)と呼ばれる布を貼り、紐(ひも)の付け根(つけね)と交差(こうさ)する箇所(かしょ)には、蝶(ちょう)をかたどったかわいい金具(かなぐ)が使われています。天皇が発願されたものだけにさすがに豪華(ごうか)で美しい経帙となっています。もとは540枚前後の経帙があったものと思われます。

  • 神護寺経経帙
    神護寺経経帙
    <京都国立博物館蔵>

 また10巻ごとをくるんだ経帙は、六つつみ、つまり60巻ほどが一つの黒漆塗(くろうるしぬり)の経箱(きょうばこ)に納(おさ)められたようです。ということは、経箱ももとは90箱前後があったと思われます。

 このようにお経とそれらをくるんだ経帙を納めた経箱がもとの4割(わり)から5割程度(ていど)とはいえ、今も残っていることはとても尊(とうと)いことです。何しろ、お経が書写され、経帙や経箱が作られてから、800年以上も経(た)っているのですから。
この神護寺経は、平安時代後期12世紀を代表する一切経の一つで、現在でもお寺には2317巻、経帙202枚、黒漆塗経櫃(きょうびつ)45合(ごう)が伝わり、重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定(してい)されています。

 (問題の答え 聖徳太子(しょうとくたいし)の十七条憲法(けんぽう)。

おことわり ここに写真を掲載しているお経は博物館にお預(あず)かりしている神護寺経のうちの一巻です。「博物館Dictionary No.35 中尊寺経(ちゅうそんじきょう)」も参考にしてください。)

美術室 赤尾
2000年10月14日

京都国立博物館 Twitter

ご来館くださる皆様へ
京都国立博物館からのお願い

↑ ページのトップへ