縦横無尽/赤尾 栄慶

 本年は、当館のシンボルである赤煉瓦の本館が明治28年 (1895) に竣工して以来、築百年を迎えます。設計者は赤坂離宮 (現、迎賓館) などを設計したことで知られる宮廷建築家、片山東熊 (1854−1917) である。設置当初は帝国京都博物館という名称であったが、その後、京都帝室博物館、恩賜京都博物館と移り変わり、昭和27年(1952) に至って現在の京都国立博物館となった。

 当然、改称されるたびに本館の門額も改められたことであろうが、篆書で書かれた現在の門額は国に移管された昭和27年、当時、篆刻の第一人者として知られていた園田湖城 (1886−1968) が筆を執ったものである。その原書は、「京」「都」というふうに一字が一紙ごとに書かれたもので、昭和44年 (1969) に琵琶湖文化館で開催された彼の遺作展にも出品された経歴をもっている。

 さて、今一度、写真を見ていただきたい。その字の並びが左横書になっているのがおわかりであろう。今では何ら違和感のない左横書ではあるが、漢字が左横書で表記されるようになるのはそんなに古い事ではなかろう。縮刷版を見ることのできた朝日新聞が左横書を採用したのは、昭和22年 (1947) 1月1日付からであった。第一面右下にはその旨の「おことわり」が載っている。本家、中国の雑誌 『文物』の前身、『文物参考資料』の表題が左横書になったのは1952年 (昭和27年にあたる) 第一期 (通号25) からであり、現在のように本文も左横書となったのは、その4年後の1956年第一期 (通号65) からであった。

 このように見てみると、どうも終戦後の昭和20年代になって左横書がひろく行われるようになったようである。まさに縦書の漢字文化圏が左横書の欧米化現象を起こしたといってよかろう。当館の門額もまさにその最中に左横書の形式で調えられたものと考えられる。抑、漢字を使った文章は、縦書で右から左へと書き進むのが漢字文化圏二千年以上もの伝統であり、題字などのように横書にする場合も右から左へと展開するものであった。もちろん、例外がないわけではない。画讃などにしばしば見られることであるが、縦書で左から右へというものもある。ということは、つい40年前に左横書を採用したことによって、漢字文化圏の表記方法が縦横・左右自在という実に便利なと言おうか、節操のないと言おうか、ものすごい表記方法を獲得したことになる。このような例は、他の言語には見られないものであろう。

 文章を読む早さからいうと、日本語の場合、やはり縦書の漢字仮名交り文が一番早く、不馴れな所為もあろうが、漢字の左横書が一番遅いらしい。今、ワープロの普及に伴って、左横書が全盛期を迎え、それを読む早さも増していることは疑いない。これに対して、右横書はすっかり見かけなくなってしまった。もちろん、古い商家の額などで見かけることもあるが、あの右横書には何となく品格のようなものがあるような気もする。(因みにこの原稿は、鉛筆で左横書です。)

[No.105 京都国立博物館だより1・2・3月号(1995年1月1日発行)より]

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