百日紅/西上実

 博物館正門の向かい、大和大路の西側には、何年か前に、街路樹としてさるすべりが植栽され、まだまだ若木ではあるが、夏の日ざしを避ける絶好の木陰を作っている。淡紅、白、紫と、枝先に咲く花の色を違えた並木は、遠目にも美しく、しばし暑さを忘れる。

 さるすべりの原産地は、中国南方を含むアジア熱帯地域。漢名を紫薇といい、白居易や劉禹錫ら唐の詩人たちもこの花をうたっている。くだって明末、蘇州の人、文震亨は書画で著名な文徴明の會孫であるが、文人の生活空間を構築する建物・庭園・家具・書画等について『長物志』という興味深い書物を残している。その巻2、花木に薇花 (さるすべりの花) が見える。「薇花は四種。紫色のほか、白色は白薇といい、紅色は紅薇といい、紫に藍を帯びる色は翠薇という。この花、4月に開き、9月に歇(つ) く。俗に百日紅と称す。
 山園にこれを植う。耐久の朋と称すべし。然れども花はただ遠望に宣し。北人は猴郎達樹と呼ぶ。樹に皮無く、猴の捷なる能わざるを以てなり。その名また奇なり。」

 先年、北京で明清絵画の研究討論会が開かれ、これにあわせて催された故宮博物院での特別展を見た。12月下旬で、零下十数度、前日に降り積もった雪が観光客の往来で踏みしめられ、橋や階段の大理石の上では凍ってつるつる滑る。うっかりすると仰向けにひっくり返って頭を打ちそうなので、欄干を支えにそろそろと足を運ぶ。午門から入って、保和殿西側回廊の内部を改装した会場に着くまでに半時間以上を要した。ふだんなら5、6分で行ける場所であるからまさに「猴郎達樹」 の思いをしたわけである。

 しかし、場内は暖房・照明の最新設備が整い、明清画の名品が百点余りずらりと並べられた別天地で、さきほどまでの難儀が消し飛んだ。とりわけ印象に残った作品の中に、求志園図巻がある。この図は明の嘉靖43年 (1564)、文徴明門下の文人画家、 銭穀が蘇州の名士、張鳳翼の園林を描いたもので、時期は旧暦の4月、いまの6月頃、初夏の花咲く庭の様子があっさりとした色彩で点描風に仕上げられている。よく見ると、絵の中心となる主人の書斎を前後から囲うように二株のさるすべりが紅い花を咲かせている。先の一文で文震亨が、さるすべりは遠目にのみ良く、庭中ではなく、山園に植える木であるといっているのとはくいちがうが、明の文人たちはそうした常識や規則にこだわらず、個人の好みに合った気楽な環境をそれぞれに作り上げていたようである。

 当館にはさるすべりの花をま近に描いた清時代の傑作がある。揚州八怪の一人、李せんの乾隆元年 (1736) 9月の作で、まっ黒な八哥鳥 (ははちょう) がさるすべりの枝にとまり羽根を乾かしている。「平生の画意、 都 (すべ) て定め無し」と自ら言うように、伝統にしばられない自由な絵画精神が見てとれる。

[No.111 京都国立博物館だより7・8・9月号(1996年7月1日発行)より]

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