西安の暑い夏/宮川禎一

 昨年の8月末から文部省の在外研究員として中国陝西省の西安市、唐時代の長安を訪れた。「隋唐の文化が韓国の統一新羅時代や日本の飛鳥奈良時代の文化にどのような影響をあたえたか」というテーマで中国西安に約2週間、韓国慶州に約2ケ月半の在外研修であった。

 私にとっては初めてのそして単独での中国旅行であったため、不安と緊張をかかえたまま夕暮れの西安咸陽空港に降り立ったのである。バスとタクシーをなんとか乗り次いで夜中に予約したホテルに着いたのだが、香港系資本のそのホテルは想像以上に近代的でひと安心であった。ホテルが所在する西安市街の西部は回教徒の集住する場所で、清真寺と呼ばれるモスクがいくつかあったり、白い帽子を被ったウイグル族の飲食店や露店が通りにひしめいたりしており、シルクロードの起点としての西安を強く感じさせられた。

 到着翌日に街へ徒歩で出かけた際にはやはり緊張感があったのだが三日目位からはそれも薄れてきて街を味わう余裕も少しずつ生じた。見慣れぬ野菜や食べ物をあきなう市場の活気は独特の臭気とともに深く記憶に刻まれている。西安滞在中には陝西省博物館、 碑林博物館、大雁塔など市内の博物館や史跡をはじめ郊外の半坡遺跡や始皇帝陵、兵馬俑坑、 法門寺、 唐乾陵、永泰公主墓さらに銅川市の耀州窯博物館まで訪れることができた。

 西安の印象は?と聞かれれば「とにかく暑かった」 のひとことである。雨は降らず、 気温は連日36度から39度にも達した。大気は熱く乾燥していた。9月初旬とはいえ夏は去っていなかったのである。したがって遺跡見学も早々にホテルに逃げ帰るような日々を送っていた。西安から乗合バスで咸陽市へ行き博物館を探して街中を歩き回った時や、始皇帝陵から兵馬俑博物館までの遠い道のりを歩いた時の焼けつくような暑さはいまでもはっきりと思い出すことができる。お世話下さった碑林博物館のスタッフの方によると西安の観光にはやはり春や秋が良いということであった。それでも街角の商店の軒端では小さな丸い竹篭に入ったキリギリスがジージーと鳴いていて夏の終わりを予感させた。

 食事はといえばホテルのレストランで毎日のように中華料理を食べていたのだがやはり飽きがきた。滞在10日目くらいであったか、ホテルの近所の屋台の串焼肉があまりにおいしそうであったので食べてしまった。連日の暑さのうえに激辛の串焼肉が悪かったのかその翌日から体調が見事に悪化し (下痢)、ホテルの医務室で点滴をうける羽目にまで陥った。この体調不良は結局9月中旬からの韓国慶州博物館での研修にも影響し、勧められたお酒を飲むことのできない、とても付き合いの悪い日本人となりはてたのである。

 西安を発って北京へ向かう朝に至ってようやく雨が降り出した。秋の訪れを告げる雨だったのだろうか、本格的な降雨であった。タクシーは水しぶきをあげて咸陽空港へと向かった。

[No.119 京都国立博物館だより7・8・9月号(1998年7月1日発行)より]

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