本物に化けていた倣製銅鐸/難波 洋三

 銅鐸は、日本から出土する考古資料の中でも、最も高額で売買されているものの一つである。そのため贋作も多いが、そのほとんどは銅鐸を見慣れた研究者にはすぐそれと分かる程度の出来である。しかし、ここで紹介する兵庫県のA島で出土したと伝える個人蔵の銅鐸は、ここ数十年来、本物として扱われてきたもので、展覧会にたびたび出陳され、また、さまざまな書籍類にも図版として掲載されてきたものであった。まず、この銅鐸に問題があることに気付いた経緯から記そう。

 銅鐸は、外型と内型を型持という装置で部分的に連結し、その隙間に熔けた銅合金を注ぎ込んで製作するのだが、この鋳型の細部の構造に関しては、近年、研究者の間で議論がある。ある研究者は、和歌山県太田黒田遺跡出土の銅鐸を観察し、銅鐸の身の厚みが外型に彫り込まれており、身の下縁も外型に彫り込まれていたと推測した。しかし、私は賛同できない。なぜなら、この説だと、同じ鋳型で作られた同笵銅鐸では下縁の位置やその断面形、平面形が、まったく同じになるはずだが、この太田黒田鐸およびその同笵銅鐸の計5個を比較すると、これがそれぞれ少しずつちがっているからである。ただし、外型に銅鐸の厚みを彫り込んだ例がまったくないわけではなく、実は、上記の兵庫県のA島から出土したと伝える銅鐸だけが、私の観察した銅鐸の中で例外的にそのような特徴を持っていたのである。

 この点が、ずっと気になっていたのだが、あるとき、この銅鐸と、これと同笵とされてきた同じ島から出土した銅鐸を比較していて、ふと気がついた。鋳造後の欠損部が、2個の銅鐸の同じ部分に、同じ形であるではないか。一つ手掛かりが見つかると、倣製品ではないかという私の疑念を確信にかえる証拠の検出は容易だった。すなわち、内型に作り付けられており鋳造するたびに壊される型持が両者で同形同大である、この身の下の型持の一方が通常と異なり外型に作りつけられたようになっている、同笵とされてきた銅鐸の錆の盛り上がりや湯廻り不良による欠孔がそのままこの伝A島出土鐸に写し取られているなどの問題点が次々に確認できたのである。その結果、この銅鐸は同じA島から出土した本物の銅鐸から土などで型取りして作った鋳型を使って鋳造した偽物である、と考えるに至った。また、この銅鐸が、戦前、現在の所有者の家に収まった経緯から、その製作に関係した人物も推定できた。

 所蔵者の気持などを考えると、僞物である可能性を指摘することは、楽しいものではない。かといって、問題のある資料をいつまでも放置するわけにもいかない。幸い、近日中にこの銅鐸を実見する機会が持てそうなので、その調査成果も踏まえた上で、いずれ、検討結果の詳細は公表するつもりである。(写真の銅鐸は本文中の銅鐸ではありません)

[No.127 京都国立博物館だより7・8・9月号(2000年7月1日発行)より]

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