王朝女性の肖像/中村 康

 新館に陳列している浄瑠璃寺の多聞天立像。この900年ほど前に造られた彩色像は、ひとりの王朝女性の肖像ではないだろうか。仏の浄土としての伽藍を守護する四天王の多聞天像と較べると、着衣や顔の彩色に多様な豊かさがあり、遙かに洗錬されて美しく輝く。仏の世を守る「身の上」を現わす装いの色と「北の方(かた)」としての面(おもて)を現わす表の色、そのふたつの色の対照が創る彩(あや)で内面の自分を表現したものと思う。100年早く著わされた紫式部日記と源氏物語が、照り映える色と色との文(あや)で、言いようなく「あやしい」自分を表現した紫式部の自画像であるように。

 秋も深まると博物館の庭の樹々と西の空がいっとき金色に輝く。この夕映えに景色だつ1008年秋の道長邸から紫式部日記は書き出される。「池のあたりの梢、遣水のほとりの草むらが、自分自分色づきわたりつつ、空全体は艶に持てはやされて」。仏の色である金の光に映えてはじめて見える現世と来世の色、その美しい輝きこそ色の文の原点であった。多聞天立像の色の彩はどうか。仏の色に対照するのは装いの細やかな切金文様や漆箔技法で薄くした金箔。金の輝きはそのままに、光の量を他の色料と対照するよう抑えている。

 輝く道長と身映えする美しい自分を紫式部に意識させたのは、朝霧が二人だけにした出会い。露をおく女郎花をかざす道長の「御姿は、もう恥ずかしくなるほどなのに、私の朝顔を思い知らされ」ての歌は「女郎花さかりの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ」。源氏物語夕顔巻の光源氏は、霧深い朝に見かけた女性の「たおやかになまめいた」さまや「うちとけぬもてなし」に、「咲花に映るてふ名は慎めども、折らで過ぎ憂き今朝の朝顔」と歌いかける。しかし現実の道長は、紫の朝顔の美しさも透明な露の輝きも見ようとはしなかった。多聞天立像の装いはと見れば、紅など鮮やかな植物色料や白を合わせた優しい色料が色取りに華やかさを加える。光が混濁しないよう構成された輝きが空間の透明性を高めている。貴人の妻と誰からも讃えられる身の映えの表現であろう。

 紫式部日記は「人は、やはり心映えが堅いようですね」と話しかける17歳の頼通への想いを隠さないが、源氏物語では17歳の光源氏が「あながちな御心映え」を通わせようとすると、空蝉(蝉の抜け殻)や夕顔の内の心が失われてしまう。多聞天立像の顔は、透明性のある白の裏に、肉体や魂の色とされる丹が塗られている。白の表の色は仏教の強く輝く金青(こんじょう=根性)に変えて薄く藍を刷くらしい。じっと見ていると仄かに漂う光が認められる。それは丹(に)の光が白を透して穂のかに出る、つまり「にほひ(匂い)」、表の藍青(あいしょう=哀傷)を現わす表現と推察される。浄瑠璃寺本堂は堀河天皇が29歳で崩御した1107年7月19日の上棟、多聞天像は翌年6月3日の供養と記録に伝えている。

[No.128 京都国立博物館だより10・11・12月号(2000年10月1日発行)より]

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