日本に残る古き中国/西上 実

 昨秋、久しぶりに香港からやってきた中文大学文物館の学芸員、李志綱君に会った時の話である。北京語を標準とする現代中国語では失われてしまった唐時代の発音が、日本ではいまだに使われており、不思議さとともに妙に親近感を覚えるという。

 単音節の言語である中国語では、同音のことばを識別するために、声調の変化が重要な役割を担っている。その声調は五世紀以来、平声、上声、去声、入声の四種に分かれ、合わせて四声という。現代北京語の声調も四声であるが、古代のそれとは内容に変化がある。古代の平声は、現代北京語では、一声と、二声に分かれ、上声は三声に、去声は四声にあたる。入声は比較的短い、つまった音であるが、現代北京語ではなくなり、もとの入声の字は他の声調で発音するようになった。ところが、日本語では、この入声の漢字をはっきりと識別して発音している。すなわち日本の歴史的かなづかいで二字以上のカナで表わされ、末尾にフ・ツ・ク・チ・キのいずれかの音がくる漢字はすべて入声である。例えば、数字の一、六、七、八は日本語の音読みによって入声であることがわかるが、逆に現代北京語の発音ではyiの一声、liuの四声、qiの一声、baの一声に変化し、古代に入声で発音されていたことがわからない。

 ただ、九種の声調を持つ広東語では、この入声が残っており、一、七、八ではtの音、六ではkの音をそれぞれ語尾につけて発音する。六などは、lukの九声(低入声)で発音し、日本語とほとんど変らない語感がある。ふだん広東語を用いる香港の李君が日本語に親近感を持つ所以である。筆者は中国音韻学の門外漢ではあるが、広東と日本という地理的にはるかにへだたり、国の異なる地域に、ともに中国古代語の入声が伝存することは、漢字文化圏の中で、中央よりも周辺地域で古い形が大切に保持されていることを示す現象のように思われる。

 文化形成の基幹となる言語ばかりでなく、美術に関わることがらをとってみても、こうした事例は数多い。掛け幅の表装の飾りである風帯もその好例であろう。現代の中国装では一般に風帯を用いることはなく、古式の宣和装の驚燕は風帯のなごりではあるが、天の生地と一体化し、その本来の意味が忘れ去られている。しかし、宋時代の中国では、確かに日本の表装に近い風になびく風帯が用いられていた。南宋の12世紀後期に作られ、浙江寧波の恵安院に施入された百幅の五百羅漢図中に、風帯を付けた掛け幅装の観音図を羅漢が広げて鑑賞する一幅(挿図1 大徳寺蔵)がある。一本の紐を天杆部分で縫い付け、掛け紐も兼ねているが、二筋になった風帯は天の地からは離れて垂れている。面白いことに、類似の風帯は中央アジアのカラホトで発掘された12・13世紀の中国系図像のタンカ(挿図2 エルミタ−ジュ美術館蔵)にも用いられており、中国古様の伝存という点で入声に類した事象を見るのである。

[No.129 京都国立博物館だより1・2・3月号(2001年1月1日発行)より]

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