南禅寺展の京都と東京/根立 研介

 世の中には、与えられた場というものがある。展覧会も同様で、同じ企画の展覧会でも開催される会場によってかなり印象が異なってくるし、出品作品の見え方自体も違ってくる。ところで、国立博物館の法人化も影響しているのか、同一企画の展覧会が京都と東京の国立博物館で開催される現象が近年しばしば認められる。今年一月から五月の間に東京国立博物館と京都国立博物館で開催された『南禅寺展』もその一つである。

 出品作品数は京都展の方が若干多いものの、この展覧会は展示の構成が大きく異なることはないようである。それにも拘わらず、私には二つの会場の展覧会の印象にかなりの相違がある。これは、東京展では細やかに展示替えが行われたことにも一因があろうが、展示会場そのものの違いということが大きいようである。展示が行われた京都国立博物館本館は、東京国立博物館平成館と比べると展示室が細かく区切られ、展示スペースも小さい。これは大観衆が入館するには適しているとは言えないが、展示室の使用の仕方や作品の展示方法を工夫すれば展示の 意図をより明瞭に打ち出すことができる利点がある。水墨画が集中した展示室などはその例で、公武両権門に支持され五山禅林に君臨した巨刹に漂う中国文化の受容の様をより明瞭にあらわすことに成功したのではあるまいか。もちろん、三門十六羅漢像など、従来の美術史では無視されかねなかった江戸初期の伝統的仏師工房の作品が京都展で展示されたという快挙?も、彫刻史研究を専門とする私にとっては京都展の印象を大きく変えているが。

 ところで、「南禅寺」をタイトルに冠した展覧会は、京都国立博物館では21年前にも開催されている。意地の悪い私は、ここで当然過去の展覧会のカタログを書棚から引っ張り出して比較する訳である。この種の展覧会は当然のことながら、出品される中核となる作品はそう変化がある訳ではない。しかしながら、新たな諸調査や研究によって見いだされた新出資料や、再評価された作品などを取り込むことによって、南禅寺の歴史や文化についての語り口もかなり変わってくるのである。京都の寺の展覧会をなぜ京都の博物館で展覧会を行う必要があるのかという批判 もあるようだが、京都に住んでいる人間でも余ほどのことがなければ個別の寺院の文化など意識はしない。こうした社寺の展覧会は、それぞれの所蔵者の歴史的、文化的な存在意義を再確認する場でもある。その積み重ねが、延いては京都の歴史や文化をより豊かに語る作業に繋がっていく訳で、それはまさしく京都に所在する博物館の役割なのであろう。

[No.144 京都国立博物館だより10・11・12月号(2004年10月1日発行)より]

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