特別展覧会「京焼 —みやこの意匠と技—」に心ゆさぶられて/守屋雅史

 陶磁器を研究する日本の研究者にとって、京焼ほど悩ましい存在はない。京焼への影響、京焼からの影響、京焼の写しものの存在については、日本と関係のあるどの地域の陶磁器を研究対象としていても、時代によっては考慮せねばならない重要な要素なのである。しかしながら、京焼の実像はなかなかはっきりしてこなかった。京焼についての豊かな伝承は同時代性の文献史料が少ないために今ひとつ実証的ではなく、綺羅星のごとき名工たちが生み出した新進の作陶技法や特徴的な文様意匠も、流行の盛衰が激しいわりには後世の写しもさかんであった。偽物という意識もなく印銘や書銘までそろえて習作として作られた幕末期の仁清写や乾山写、明治期の木米写など、その可否の判断は現在でも非常に難しい。また工房や窯跡が現在の居住地と一致しているために生産遺跡の考古学的な調査も充分にはできないといった事情もあった。そうした確実性がゆれる陶磁器だからこそ、総合的・本格的な「京焼」の展覧会は、今回が初めてといっても過言ではないのである。

 良質な展覧会と評価される条件とは、優れた展示作品が多いこと、作品の配置や解説の内容によって展覧会企画者の思考の軌跡が理解しやすく示されていること、新たな論点が随所にあふれ展覧会全体の流れに調和して違和感なく感じられることなどによるだろう。そうした点では、今回の京焼展はかなりの高得点をあげていると思う。京焼の発生と軟質施釉陶の問題、御所や公家屋敷などの消費遺跡からの出土品による実物編年案、考古資料と寺院を中心とした伝世品との対比など、京都国立博物館の今までの調査活動や展覧会をふまえながら、最新の研究成果を説得性の高い展示に仕上げていたからである。今後の京焼研究は、本展の豊富な成果を抜きには語ることができないと考える。

 とはいえ、注文がないわけではない。中央の展示室を名品コーナーとする従来の展示手法にこだわることで年代的な序列が乱れてしまったし、楽家の作陶が京焼の範疇に含まれるか否かは展示作品からは明らかにされなかったし、東山周辺の陶家の生産に関する文献的な検討と五条坂を中心とした幕末期の磁器生産に関する取り上げ方、明治〜昭和期の近代的展開の実相も十分語り得たとはいえなかった。しかし最大の注文点は残念ながら集客への取り組みであろう。雑踏というほどの来館者は必要ないが、昨今の博物館施設に対する逆風の中では、こうした充実した内容の展覧会ほどマスコミを大きく巻き込んだ広報展開の努力が必要なのである。そうしければ、京都ブランドの魅力だけで多くの人々を呼び込むような展覧会ばかりがはびこってしまうからである。関西の博物館界をリードする役割をもになっている京都国立博物館のさらなる発展を願うには、避けて通れない両刃の剣でもあるのだが。

[No.154 京都国立博物館だより4・5・6月号(2007年4月1日発行)より]

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