仏像の年代はどうしてわかるのか/淺湫 毅

 というのは、彫刻研究者が一般の方からよく尋ねられる質問のひとつである。他のひとがどう答えているかは知らないが、筆者の場合は次のように答えている。「はっきりとわかるものもあれば、他の仏像と比較してどうにか類推しているものもある」と。

 はっきりとわかるのは、なんらかの記録に造像経緯が記されているときである。それを『藤原道長』展の出品作に基づいて説明しよう。日記の記録から製作年がわかったのが、同聚院の不動明王である。この像のことは道長の日記「御堂関白記」に記載があり、寛弘二年(1005)に発願され翌年に完成したことがわかる。つぎに縁起から製作年が判断できたのは誓願寺の毘沙門天で、その記載から像の完成は寛弘八年ころのことかと推察できる。この縁起には造像経緯について大変興味深い話を載せるが、ここで述べる余裕はないので是非とも展覧会図録の解説をご覧いただきたい。つづいて銘文から製作年が知られたのは、園城寺の不動明王である。昭和62年に行なわれた修理の際に、像内から長和三年(1014)の銘文が発見された。そして遍照寺の十一面観音は寺の創建が永祚元年(989)なので、像の造立年もそのときかと考えられる。

 これらを年代順に並べると、まさに和様化がすすみ、次の定朝へとつながっていく彫刻様式の変遷をたどることができる。これらがいわゆる「基準作」で、いってみれば時代判定のモノサシである。残念ながらこのような例は少ない。

 一方で圧倒的多数をしめる、記録などがまったく残されていない像の場合は、上記のようなモノサシと対照しながら類推するのである。したがって研究者によって推定年代に差が出てくることもある。写真の仏像は、当館が金戒光明寺から寄託されている不空羂索観音(1)と十一面観音(2)である。これらを例に、筆者がどのように両像の製作年代を類推したかを簡単に述べよう。

 不空羂索観音は細身で伸びやかな肢体の表現に特徴がある。これらは仏師長勢の作風に通じるもので、十一世紀の末ころのものかとまずは推定される。一方の十一面観音は丸みを帯びた量感のある作風で、長勢次世代の仏師円勢の作風に通じるものがあり、十二世紀初頭ころのものとみられる。ところが両像の場合簡単にいかないのは、表面仕上げや像の大きさなどから一具の可能性も考えられるからである。そこで筆者は、十二世紀初頭に年齢が一世代異なる仏師によって、一具の仏像(六観音の一部)として共作されたものではないか、と推定した。詳しくは本年5月に発行された当館の『学叢』をご覧いただきたい。

 本号の別欄で紹介した地蔵菩薩もそのようにして製作年代を判断した例である。あわせて一読いただけたら幸いである。

[No.155 京都国立博物館だより7・8・9月号(2007年7月1日発行)より]

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