須磨コレクションの日本人画家たち─京都国立博物館に日本の近代洋画があるわけ─/京都国立博物館研究員 呉孟晋

 昨夏、当館で開催された新収品展をご覧になられて、あるいは次のような疑問をもたれた方がいらっしゃったかもしれません。「どうして京都の国立博物館に日本の油絵があるの?」と。

 京都国立博物館の収蔵品は、平安の都からの京文化にかかわる文化財がほとんどです。明治以降の美術作品は、たとえば、京都国立近代美術館などが積極的に収集しています。明確な規定はありませんが、博物館は古美術、美術館は近代美術というように、ゆるやかな役割分担があります。それでも当館に日本の洋画作品があるのは、それらが中国近代絵画の一大コレクションを形成した外交官・須磨弥吉郎(1892〜1970)の収集品の一部であるからです。

 京都国立博物館と須磨コレクションの接点は、昭和初期の恩賜博物館時代に、中国赴任を終えて日本に持ち込まれた須磨の収集品を一時期、寄託品として預かったことから始まります。須磨コレクションの最大の特徴は、外交官としての赴任地で同時代の美術を積極的に収集したことにあります。これまでは、第二次世界大戦中のスペイン・マドリードで収集した西洋絵画のコレクション(長崎県美術館蔵)が知られていましたが、その前任地・中国でもかなりの数の美術作品を集めていました。素朴なあじわいのある花卉画で知られる斉白石を無名時代に見出したその鑑賞眼は確かなもので、現在では中国でも再評価がすすみ、オークション市場にて高値で取引される作家も少なくありません。

 須磨コレクションにある日本の洋画家の作品は、熊岡美彦、太田貢、重松岩吉、島田隆史、上野春香、小林守材、小川七五三二など。日本の洋画に詳しい方でも、帝展画家の熊岡美彦(1889〜1944)と、戦後、春陽会で活動した上野春香(1896〜1978)をのぞいて、初めてその名前を耳にした方も多いのではないでしょうか。いずれも、昭和初期に中国大陸に足しげく通っては須磨のもとを訪ね、作品を買い上げてもらうことで生計を立てていたようです。須磨は、いわば彼らのパトロンだったのです。

 なかでも、須磨が一番、眼をかけたのが重松岩吉(生没年未詳)でした。重松は、ニューヨークのインデペンデント・スクール・オブ・アーツに留学した経歴をもつ洋画家です。大正10年(1921)、二科展初入選後、普門暁らが立ち上げた未来派美術協会や、村山知義が率いるアクション展などにも出品し、大正期の新興美術運動を支えた画家の一人でしたが、須磨と知り合った当時は台湾や中国を放浪していました。豪放磊落な性格で知られた須磨には、重松の「冒険精神」が気に入ったのでしょう。油彩「牛」は、円弧と鋭角による構成で牛の姿態を捉えた作品で、大正12年(1923)の『みづゑ』二月号に本図が紹介されており、同年開催の三科インデペンデント展に出品されたことが確認できます。

 昭和初期の上海で流浪した日本人芸術家に興味を持たれたならば、詩人・金子光晴の自伝的小説『どくろ杯』をご一読ください。須磨コレクションの画家たちが直接出てくるわけではありませんが、日本のボヘミアンたちの青春と挫折が切ない筆致で描写されており、「セピア色の上海」が浮かび上がってくることでしょう。


[No.169 京都国立博物館だより1・2・3月号(2011年1月1日発行)より]

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