南蛮屏風と阪神大震災/京都国立博物館列品管理室長 鬼原俊枝

 南蛮屏風は、日本の港に停泊するポルトガル船と、イエズス会の宣教師等が出迎える様子、異国の物産の荷揚げなどを描くもので、現在約90点が知られている。神戸市立博物館の狩野内膳筆の屏風は、南蛮美術の一大コレクションを作り上げた池長孟の蒐集品で、絵の具の発色も金箔の輝きも類い希な、美しい作例である。両隻に教会らしい建築が描かれ、十字架を抱く救世主の画像が飾られた祭壇が見える。江戸時代初期には厳しいキリシタン弾圧が行われたが、この屏風はそれを潜り抜けた。近代に至って第二次大戦時には、百回以上も襲った米軍による神戸大空襲を免れ、さらに阪神大震災も逃れて、今ここに完璧な保存状態で存在することは奇跡とすら思える。阪神大震災の際、私はこの屏風の搬送に立ち会った。


 平成7年1月17日に起きた阪神大震災の前日の夕刻、その年の重要文化財指定候補となったこの南蛮屏風を、指定調査のために東京国立博物館まで搬送する任務を帯びて、私は神戸に赴いた。何かの理由で直前に集荷日程を1日早めざるを得なくなり、展覧会最終日の閉館直後に、同館で展示中だった南蛮屏風を展示ケースから下ろして点検の上すぐ搬出するという異例の作業となっていた。屏風を載せた美術品専用車は阪神高速に乗り、暮れなずむ神戸の街を見下ろしながら、一泊する京都国立博物館へとむかった。私たちが通り過ぎた約10時間後に阪神高速道路は地震の凄まじい揺れによって倒壊した。


 この年に指定候補となったことと、集荷の予定が変わったことが重なって、南蛮屏風は大震災の直前に現地を離れたのである。そして夜明け前、大地震が発生し、多くの尊い命が奪われた。すべての交通機関が麻痺したが、通行止めだった名神高速は昼過ぎに京都東以東で開通した。被災地の多くの方がそうであったように、この時神戸在住の両親の安否はまだ不明であったがなす術はなく、覚悟をして東京に向かう美専車に乗り込んだ。4月中旬にその年の新指定文化財が発表された時、新聞は地震からの復興に苦闘する被災地に明るいニュースを届け、精一杯のエールを送った。


 この南蛮屏風は、四百年の歴史を沈黙のうちに秘めているが、文化財の数奇な運命の背後には、必ずそれを可能にした人々がいた。私は単なる随伴役だったが、この屏風の完璧な姿は、大切にした人から大切にした人へと伝えられてきたことを物語っている。思えば、私たち現代人の手に遺っているものは、守り伝えようとする強い意志をもった人々が世代を継いで存在し続けたからこそ遺ってきたものである。昨年3月に起こった東日本大震災は、予想を遙かに超えた自然の巨大な力が広域に亘って猛威を振るった。今、日本の社会全体が各々の持ち場で防災に取り組んでいる。文化財もまた、現代にまで伝えられてきたものをどのようにすれば確実に次の世代に遺せるのか、再来する災害への備えが急がれている。


 [No.174 京都国立博物館だより4・5・6月号(2012年4月1日発行)より]

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