「宸翰 天皇の書」を観て/北海道大学文学部准教授 橋本 雄

 2012年秋の「宸翰 天皇の書」展は、質・量いずれの側面においても、歴史に残る名展覧会といえるのではなかろうか。「宸翰」のみに絞って、かくも大規模・高品質の展覧会を企画されたことは前代未聞と思われるからである。重厚かつ綿密な研究の成果に裏打ちされて、書道史・美術史と歴史学・文献史学との融合が見事に果たされていた。展示構成もよく練られており、私のような素人展観者にも非常に分かりやすかった。

 実際に宸翰のあれこれを目にしてみると、墨色には、さまざまな色彩や色調があることに気付く。料紙はもちろん、こだわりの筆や肝心の墨、そしておそらくは重宝の硯など、よりすぐりの道具を用いて書かれたからであろう。そして何より、そこには天皇たちの「精霊(しょうりょう)」すなわち人間の霊魂が込められていた。だからこそ、宸翰には有無を言わせぬ気魄や気品が漂っているのだ(このあたりは、土曜講座の一つ、丸山猶計氏(九州国立博物館)「宸翰の薫りと三蹟」から学ばせていただいた)。

 出陳された作品個々の表情も実に興味深いのだが、それを大掴みに捉えてみせる企画担当者・羽田聡氏の手腕も巧みである。

 たとえば、展示構成の第三章「きらめく個性」では、後嵯峨天皇のあとの持明院統・大覚寺統の両統迭立に触れて、「書という方面においては、あたかもお互いが切磋琢磨するかのように、それぞれが独自な進化をみせた」と説く。真言密教を強く意識していた大覚寺統では、亀山・後宇多天皇が法名を密教風の金剛性・金剛源としている。それゆえに、彼らは大師流(空海(三筆の一人)の書風)を好んだものか(作品27に顕著)。他方、第四章「書聖・伏見天皇」に特集される、伏見天皇の「変幻自在」な書は、さながら《書法のデパート》である。持明院統随一の書家伏見天皇は、「仮名も真名(漢字)も書体を縦横無尽に書きわけることができた」。当然、そこには宋朝禅風の書体も含まれる。

 そして、極めつけは第五章「個性の継承」である。「北朝は後光厳天皇の「消息」(作品76)に代表される〈理性の青〉、南朝は後醍醐天皇の「消息」(作品57)に代表される〈情熱の赤〉」。1392年、「南北朝の合一が果たされると、後小松天皇以後は赤と青の混合色、〈高貴の紫〉とでもいうべき書風へと展開」する――。ここに、花園天皇(作品45)や光厳天皇(作品68・69)、後円融天皇(作品80)の手などを重ね合わせてみると、禅林墨蹟の流れを存分に吸収し、宸翰様がさらに豊穣になっていったことがうかがえる。

 ただしこのことと関連して、宸翰をはじめとする日本の「書」が、あくまで三筆や三蹟(とくに後者――いわゆる和様)に軌範を求める体質をもつもので、宋元文化の影響の色濃い他の美術工芸分野と一線を画す、という担当者の指摘も逸することができない(図録巻頭論文)。一般に渡来僧・渡海僧の時代とされる鎌倉後期~南北朝期の宸翰を通覧しても、禅林墨蹟の影響は確かに限られていた。大覚寺統では、禅林禅寺(のち南禅寺)を発願した亀山法皇の宋風様(作品25)がやや目立つ程度で、むしろ伏見院以後の持明院統の方にこそ、宋元風禅林墨蹟の影響が仄見える。

 そうなってくると、たとえば禅密を信奉し、朝廷のなかで新たな家格を創出しようとしていた足利義満は、宸翰様との距離をどのように取っていたのだろうか。これは、政治文化史上の問題としても実に興味深い問題だろう。

 このように本展は、さまざまなインスピレーションを湧き起こしてくれる、論点の宝箱のような展覧会である。本展覧会が、今後の天皇・文化史研究の基礎になることは疑いないものと思われる。


[No.178 京都国立博物館だより4・5・6月号(2013年4月1日発行)より]

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