京都文化を支える人々/京都国立博物館列品管理室長 浅見龍介

 暮れにテレビで京都を舞台にしたドラマを見た。全体を通して登場する人物と、ある人物の一齣を描いた短編が連なる形だった。その中で、洗い屋と呼ばれる職業の父と子の葛藤を描いた一編が印象に残った。洗い屋というのは、年を経た建物や箪笥などについた汚れを落とし、寿命を延ばす仕事である。私はこんな仕事があることを知らなかった。

 さてその洗い屋には大学卒業を間近に控えた息子がいて、東京で就職することを希望しながらも、後ろめたさを感じていた。洗い屋を家業にして来た家に生まれながら、その職を継がないことに。ところが、父親に申し訳ないと言うより、京都に対して申し訳ないという気持ちだと彼は恋人に語る。出版社に勤めたいという夢と、関東に帰る恋人の誘いの二つを足しても、京都への思いを凌駕することはなく、結局はその職を継ぐ決心をした。京都の伝統を支える人にはそんな重圧があることを初めて知った。

 昨年四月に京都に引っ越してきて、京都の文化を味わい尽くしたいと思ったものの、葵祭、祇園祭の籤改めの日が会議日と重なって今年に持ち越した。そんな中で、京都らしさを感じたのは、私の家のすぐ近くにある洋菓子店である。京都の北にあって、市内在住の人ならまだしも旅行者には訪れにくい店である。そして営業日は土、日、月曜日のみ。固定メニューはなく、毎週水曜日にどんなケーキを販売するかホームページで発表される。休業日は休んでいるわけではなく、旬の果実などの材料を厳選して仕入れ、準備しているらしい。店はこじんまりしていて、ケースにたくさんは並んでいない。わずか三組が座れる店内で食べる客には出来立てのケーキが運ばれる。

 その味は鮮烈である。旬の果実はそのまま食べるのが一番と思われるかもしれないが、凝縮し、他の素材と組み合わせることで味わいがより際立つということがあることを教えてくれる。そして食感。木の実を用いたものなどは、食感が面白く、食べるのが楽しい。

 恐らく、デパートなどから出店の要請もあるだろう。しかし、それを受けたら出来立てを供することはできず、鮮烈さは失われるだろう。そして一人で作る、というわけには行かなくなる。要するに何よりも自分のできる限りの最善を尽くし、最高のものを食べてもらいたいという思いが感じられる。

 もちろん、安全で美味しいものを低価格で提供するため、工場で作れるようにして、たくさんの人々を喜ばせたいという考え方も素晴らしい。いろいろな考え方があっていい。しかし、質にこだわって、小さな店でひっそり続けるという店は貴重である。ぜひ大事にしたい。たぶん店主の努力だけでなく、京都の人々の思いがこうした店を守っているのではないか。

[No.186 京都国立博物館だより4・5・6月号(2015年4月1日発行)より]

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