苦い記憶/京都国立博物館学芸部長 山本 英男

 「ならぶのはしんどいよ」。
 「でもね、源氏も頼朝も、金印も見られるんだから、少しは我慢しなくちゃ」。

 この秋、「国宝」展に来られた、ある親子の会話である。当館としてもこうした事態を想定していろいろと策は講じていたのだが、さすがに一日平均一万三千人を超える来館者があれば、長蛇の列は出来てしまう。先の親子のような会話があちらこちらでなされたろうことは容易に想像されるところである。この点につき、まずは主催者側のひとりとして、深くお詫びを申し上げたいと思う。

 ところで、今から三十数年も前のことだが、私には忘れられない苦い記憶がある。当時、山口県立美術館に勤めていた私は、県庁の新庁舎の落成に併せて「雲谷等顔と桃山時代」という展覧会を企画した。「等顔といえば山口を治めていた毛利藩の御用絵師で、しかも華やかな桃山画壇の巨匠でもあるから、彼ほど落成記念展にふさわしい絵師はいない」と考えたわけだ。しかし、一般の方々の反応は鈍く、客足も伸びなかった。要するに、「等顔って誰?」というのが大きな理由であったらしい。あらかじめそれを危惧していた私は、誰もが知っている超有名作品―狩野永徳筆「花鳥図襖」(国宝 聚光院)や長谷川等伯筆「波濤図」(重文 禅林寺)など―も併せ展示したのだが(よくお借りできたものだと、今でも思っている)、マスコミとの共催展ではなかったため、宣伝が広く行き渡るのは難しかったようだ。

 そんな状況を不憫に思ったのか、親しい新聞記者がコラムを書いてくれた。内容は、凄い業績を残した絵師なのに回顧展が注目されないのは悲しい、というもの。そして題名は何と、付けも付けたり「等顔が泣いている」だった。結局、私は桃山画壇の巨匠に泣きべそをかかせた、唯一の学芸員になってしまったのである。記者氏の好意には心底から有り難いと感じたが、同時に、同じところがチクリと痛んだのはいうまでもない。

 それ以来、ひとりでも多くの方々にご来館いただけるよう、己が出来ることは何でもやった。テレビやラジオ、新聞や雑誌の取材、遠方での講演会や団体客へのレクチャーなどは当たり前。ミニコミ誌に記事を載せてもらうために、ネコの耳を付けて写真を撮ったこともあった(不幸にも当該号はネコ特集であったのだ)。幸い、近年の日本美術ブームのお陰もあって、昔のような惨めな思いはしないで済んでいる。だが、いつ何時、泣きべそをかかせるかもしれないという不安が未だにつきまとうのは、学芸員ゆえの悲しい宿命なのであろう。

[No.197 京都国立博物館だより1・2・3月号(2018年1月1日発行)より]

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