特集陳列
坂本龍馬

【会期】2008年7月23日(水)〜8月31日(日)
【会場】平常展示館 13・17室
【料金】通常の観覧料金でご覧いただけます。
幕末の志士坂本龍馬(1835〜1867)は織田信長とならび日本史上で最も有名な英雄といえるかもしれません。京都国立博物館ではかつて数度にわたって博物館が所蔵する坂本龍馬関係資料を展示してきました。すでにその展示を御覧いただいた方も多いかと思います。今回の特集陳列も小規模ではありますが、館蔵の龍馬書簡を中心に龍馬の遺品や刀、海援隊関係資料などを展示し、あわせて関係する幕末の資料を展示いたします。
今年の大河ドラマ『篤姫』は幕末の薩摩藩が舞台のドラマですが、その主役のひとりは篤姫の幼馴染みの「肝付尚五郎」(瑛太)です。この尚五郎はのちに薩摩藩家老の「小松帯刀」となって幕末史に足跡を残します。そしてこの小松帯刀と坂本龍馬は深い関係があるのです(ちなみに篤姫と小松帯刀そして龍馬は同じ天保六年の生まれです)。当館に保存されている坂本龍馬書簡のうち慶応三年四月頃に土佐の乙女姉さんへあてた手紙の中に小松帯刀の名前が見えます。その手紙の一節に龍馬は次のように書いています。
「なお去年七千八百両でヒイヒイとこまりておりたれば、薩州小松帯刀と申す人が出しくれ、神も仏もあるものにて御座候」
龍馬が同志とともに長崎で始めた商社亀山社中(のちの海援隊)も金銭不如意で困窮することが度々ありました。(「ヒイヒイ」という表現はとても龍馬らしいものですが)その危機のひとつを薩摩藩の小松帯刀が大金を出して救ってくれたというわけです。また小松は西郷隆盛や大久保利通の武力倒幕路線よりは龍馬らの大政奉還路線を支持していたとされます。
また龍馬は西郷吉之助(隆盛)についても別の手紙で「おおいに心のよい人だ」という意味の文章を残しています。龍馬がいわゆる薩長同盟をなしとげるのも薩摩人や長州人とのこのような人脈の裏づけがあったからなのです。そのようなこまやかな人間関係は龍馬書簡のあちこちに見ることができます。どうぞじっくりとお読みください。
さて今年は明治維新から百四十年の節目の年であり、各地で記念の展示などが行なわれます。今回の特集陳列でも慶応四年(明治元年)の正月三日に開戦した「鳥羽伏見の戦い」に焦点をあて、それに関連する作品を展示いたします。遠藤蛙斎が描いた『伏見鳥羽戦争図』は大画面の迫力ある絵巻です。伏見の市街地はこの戦いで戦場となり、龍馬の定宿であった寺田屋などもこのとき被災しています。この鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)が日本の近代史のはじまりを告げる歴史的にとても重要な戦争であったことをご理解いただければと思います。
(宮川禎一)
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重要文化財
坂本龍馬書簡のうち 霧島山登山図
京都国立博物館蔵
姉乙女にあてたこの手紙は、妻おりょうとの鹿児島行きのことを主に記している。一月末に伏見の寺田屋で負傷した龍馬は、三月にはおりょうらとともに薩摩船で鹿児島へ向かった。そして霧島山麓の温泉で傷の養生をした。さらに三月末には、はるばる霧島山高千穂峯に二人で登った。その様子が山の絵入りで細かく記されている部分である。龍馬の手紙を代表するもの。
伏見鳥羽戦争図(草稿)伝遠藤蛙斎筆 部分
京都国立博物館蔵
遠藤蛙斎こと遠藤茂平が描いた鳥羽伏見の戦いの壮大な絵巻の草稿。明治十年代になって戦闘のあった現地を取材して描いたもの。全22図、26メートル余りある。徳川慶喜が二条城を離れて大阪に退く場面や鳥羽街道での薩摩軍と幕府軍との押し問答、その結果の開戦、伏見奉行所での戦闘の様子(上掲)などが描かれている。
【主な展示作品】
重要文化財 坂本家先祖書並系図 当館
重要文化財 坂本龍馬桂小五郎遺墨〈龍馬書簡集〉当館
重要文化財 龍馬乃遺墨雄魂生名録並海援隊日史秘記〈海援隊記録〉当館
重要文化財 小栗流和兵法事目録 当館
おりょう宛龍馬書簡 当館
川原塚茂太郎宛龍馬書簡
長幕海戦図 坂本龍馬筆
おりょう宛寺田屋登勢書簡 当館
刀 銘吉行 当館
重要文化財 坂本龍馬所用三徳 当館
伝坂本龍馬使用海獣葡萄鏡 当館
近江屋初荷之図 楳堂筆 当館
重要文化財 梅椿図 板倉槐堂筆〈血染掛軸〉当館
重要文化財 書画貼交屏風〈近江屋旧蔵・血染屏風〉当館
近世珍話 前川五嶺筆
伏見鳥羽戦争図草稿 伝遠藤蛙斎筆
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