曾我蕭白(1730〜81)は、永らく伊勢の出身と信じられて来ました。同地では確かに今でも蕭白の作品が数多く遺っており、無理もない話なのですが、少くとも父親の時代から京都の住人であったことが、今では確認されています。
 蕭白と同時代に京都で活躍した画家といえば、与謝蕪村・池大雅・円山応挙・長沢芦雪そして伊藤若冲などの名をあげることができます。まことに錚々たる画家たちというほかありません。
 こういった人びとと伍して、蕭白は文字どおり独自の画風を展開してゆきました。室町時代の曾我蛇足を継ぐ者と標榜するのも、アナクロニズムを逆手にとった彼なりの同時代絵画への反抗の姿勢を示しています。こうした彼の姿勢から、当時の京都画壇を席捲していた写生派の円山応挙への対抗意識が生まれて来るのにちがいありません。
 蕭白についての逸話を彩っているのは、ごくわずかな例外を除くと、人を人とも思わない不遜ともいうべき戟しい精神性を表わしたものばかりです。
 なぜ、このような人格が形成されたのか、それをその境遇に求めるのは余りに単純といわれるかもしれませんが、若冲と比較すると判り易いように思います。若冲という人は、錦小路の青物問屋の長男であり、基本的に生涯、生活の心配をしなかったわけで、好きなだけ絵を描きつづけ、絵を売って生活する必要とてありませんでした。
 これに対し蕭白は、上京あたりの商家で江戸にも支店をもっていたと考えられる家に生まれながら、数え十四歳のとき父を、十七歳のときに母を喪い、その前の十一歳のときには兄が江戸で没しています。幼い妹があったようですが、要するに十七歳の蕭白は天涯孤独の身の上になったのです。こうした境遇が彼の精神形成上、何らかの影響を与えたことは確かでしょう。
 そのような少年がどのような人生をたどり、画家として大成して行ったのか、それを数多くの作品を通して実感してみようというのが、この展覧会の企画意図です。
 蕭白が青年期から壮年期にかけて、伊勢や播州地方で旺盛な作画活動を続けながらも京都での活動基盤をもたず、ようやく四十歳代になって京都に定住するようになったことにも、解明すべき謎が秘められているように思われます。
 およそ120件からなる展示品の中には、いわゆる奔放な蕭白画以外に、彼が本来もっている優し気な眼差しに満ちた作品も含まれます。アメリカ、ドイツ、フランスから里帰りする作品とともに、蕭白の芸術世界の本当の意味での幅広さを愉しんでいただける展覧会となるでしょう。