主役の色/京都国立博物館主任研究員 古谷 毅

 昨夏の第85回夏期講座では、日本古代の世界観の一端を紹介させて頂いた。7世紀末の古代国家成立期に古代中国の宇宙観があったことは、奈良県キトラ古墳・高松塚古墳壁画の天文図によく表れています。近年では、大宝律令発布の年の元日朝賀(701年)に登場する日月・四神像などを描いた宝幢の遺構が、平城京(710年)・恭仁京(740年)・長岡京(784年)に続いて、7世紀に遡る藤原京(694年)でも発掘されました。これらは中世・近世の絵図にも描かれ、近代の即位式でも使用されましたので、今年の御大礼でも拝見できそうです。

 このような宇宙観は北極星(太極)と北斗七星(輔星)を中心に、天の黄道上の二八星座(星宿)と四方位を象徴する霊獣(朱雀・玄武・青龍・白虎)や陰陽(日輪・月輪)で表現されています。それぞれは鮮やかな赤・黒・青・白・金・銀のテーマカラーで描かれていました。中心の烏形幢(八咫烏・やたがらす?)はいかにも日本的ですが…、奈良薬師寺の薬師如来台座の四神像や北斗七星が象嵌で描かれた大阪四天王寺・奈良正倉院に伝来した七星剣の図像も、本来の主役が北極星であることは云うまでもありません。

 さて、北極星にもテーマカラーがあります。そもそも古代中国では北極星が位置する天空を紫微垣(しびぇん)と呼び、宮城をこれになぞらえた明・清代の紫禁城は有名です。古代日本でも内裏中心の建物は大極殿で、7世紀後半に成立した天皇号起源説の一つが北極星を神格化した天皇大帝であることはご存知の方も多いかと思います。平安時代には内裏の中心建物は紫宸殿と呼ばれ、北極星と紫色の関係をよく物語っています。仏教にも影響し、僧職の最高位は紫色です。江戸時代の朝幕関係に深刻な影響を与えた紫衣事件(1627〜32年)は、中世以降、朝廷の特権(勅許)であった紫衣の授与を幕府が力(法度)で規制したもので、まさに「紫」の中枢(御所)の特権を犯す大事件であったわけです。ただ、四神や日月の色彩に比べ、紫色が僧衣など以外ではあまり目立たないのは不思議なことです。

 ころで、仏像の研究では、紀元前5世紀頃、ブッダが悟りを開いてしばらくは仏像がなく、紀元後にブッダの生涯を描いた仏伝図が作られた後に、ようやく現れることが知られています。しかも初期の仏伝図には、主人公のブッダは菩提樹や玉座・梯子(上方から降りてくる?らしいのですが…)で表現されるだけで、姿は描かれません。初期のキリスト教でもイエスはクルス等で表わされ、日本の埴輪でも人物埴輪出現以前の5世紀には椅子形埴輪が古墳の墳頂に樹立されています。いずれも最初は主人公が象徴的表現で示されるという興味深い共通点があります。いわば透明性の表現とも云え、主役の色は観念的にしか表現できません。古代以来、日本文化に深く浸透した古代中国の宇宙観における主役の色が一貫して〝控えめ〞であった理由も、このあたりに隠されているといえそうです。

[No.201 京都国立博物館だより1・2・3月号(2019年1月1日発行)より]

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