舎利と謎の土製品/京都国立博物館主任研究員 末兼俊彦

 「鑑真和上と戒律のあゆみ」展でも取り上げられている「仏舎利」は、仏教の信仰上とても重要な意味を持っている。古代インドを発祥の地とする仏舎利信仰は周辺仏教国にもあまねく広がり、各地で独自の発展をしているため、地域ごとの仏舎利信仰を調べることで、共通点と独自性の両方を知ることができるのだ。

 さて、私には仏舎利とこれを納める舎利容器にまつわる忘れられないエピソードがある。2011年11月8日、当時九州国立博物館にいた私は、バンコク大学東南アジア陶磁器博物館で日タイ間の文化交流を裏付ける文化財の調査を行っていた。調査がひと段落ついたころ、先方の教授が「ひとつ見てもらいたいものがある。これは調査に来た人たちみんなに聞いていることなのだが」と前置きして、何やら大量の出土品らしきものを提示した。見れば統一感が有るようで無いような不可思議な形状をした素焼きの土製品群である。教授は、この種の土製品は住居区画とは少し離れた所から100や200ではきかない数が一括して出土し、出土時に中には何も入っていないのだ、と告げ、あまりにも分からないから、中には虫籠なんじゃないかと茶化す人までいるよ、と苦笑いをした。

 「僕、金目のものが専門なんですよね~」などと、軽く返しながらそれらをより分け始めると、次第にあることに気が付いた。円形の胴に涙滴形の頂部を持つものが多い。これ、古代インドの骨壺を祖型に持つ塔鋺形舎利容器では? そう思い、改めてこれらの土製品を精査すると、中には五鈷鈴を想起させる突起を備えたものまである。間違いなく仏教関係、しかも密教の影響がある品だ。現在でこそ上座部仏教の主要国であるタイだが、かつては隣国クメール王朝などの影響を受け、タイ南部では密教系の教えも盛んに行われていたのである。興奮してこの土製品が舎利関係の造形をしていること、さらには密教の影響が伺えることを説明し、おそらくは13~15世紀の骨蔵器ではないかと伝えると、教授は確かに時期的にはその頃のものだが、タイの古い時代には今で言うような墓はなく、先ほども述べたがこの土製品には何も入っていなかったと繰り返す。

 他国の歴史をよく理解していない外国人があまり食い下がるのも失礼かと思い、その場はそれで終わらせたが、やはり納得いかない。あれは骨関係だよ、骨骨、間違いなく骨。などと憑りつかれたように考えながら帰国の途につき、何の気なしにテレビをつけた。おりしも、ご成婚されたばかりのブータン国王王妃両陛下が訪日されており、番組は俄かにブータン特集である。ブータンの特徴を様々な角度から紹介していた矢先、なんと画面にタイで見た土製品とそっくり同じものが映っていたのである。そんな馬鹿なと、思いもよらない再会にテレビにかじりつき必死にメモした結果、これら土製品は「ツァツァ」と呼ばれるものであり、遺灰を練り込み、墓の代わりに埋納して死者を弔うものだと分かった。

 さらに調べると、ブータン以外でもヒマラヤ周辺の地域ではこの種の埋葬方法がいまだに取られているそうだ。それ見たことか!と思う一方で、タイでは500年前に失われた文化がほかの地域ではいまだに人々の生活の中に息づいており、さらにはその造形も同じくしているということに言い知れぬ感動を覚えた。当然、お礼の挨拶とともにすぐさまこのことをバンコク大学に報告したのだが、くだんの教授からの連絡はいまだにない。

[No.210 京都国立博物館だより4・5・6月号(2021年4月1日発行)より]

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