二度あることは…/京都国立博物館学芸部長 尾野善裕

 なんでも、「二度あることは三度ある」という言い回しには、「だから同じ失敗を繰り返さないように注意せよ」という含みもあるらしい。とはいえ、この世には用心していても、どうにもならないことがある。

 最初は、かれこれ24年前、京都国立博物館へ赴任してまだ3年目のこと。当時、工芸室専任の陶磁担当研究員だった筆者は、現在平成知新館と呼んでいる建物の設計に資すべく、なりゆきで難波考古室長(当時)と共に博物館構内を試掘調査することになった。館の敷地は、豊臣秀吉が創建した方広寺の旧境内にあたっていて、その関連遺構がどこまで残っているのかを確認する必要があったからである。

 既存建物の周囲に複数の試掘坑を設定し掘り下げてみると、南側の調査区で1メートルほどの巨石がみつかり、出土位置から国が史跡に指定している方広寺の石垣の南面延長部分に相当するようにも思われた。そこで、京都市埋蔵文化財研究所に委託して本格調査を行ったところ、延々50メートル以上にわたって石垣基底部が残っていた上に、秀頼再建期の南門や回廊の礎石据付痕跡まで確認されたのである。

 史跡とは、遺跡の重要文化財とも言うべき存在だ。文化財保護の拠点たるべき博物館を、明らかな史跡の延長部分を壊して建てたのではサマにならない。かくして、平成知新館はその設計変更を余儀なくされた。

 2度目は7年前。人事異動で奈良文化財研究所へ転任したその年に、研究所の新庁舎建設予定地の発掘調査を担当した。7月に前任者から現場を引き継いだ際、既に大規模な土木工事の痕跡の片鱗が見えていて、嫌な予感はしていたのだが、調査を通して明らかになったのは、秋篠川の流路を利用した運河の存在である。現在の秋篠川は旧平城京域を北から南へほぼまっすぐに流下しているが、元々はかなり蛇行していて、その河道を利用して平城宮造営時に資材を運び込み、運河の必要がなくなると南北方向の人工流路に付け替えていたのである。

 都を造営するためには、河川の流れまで変えてしまうという国家による大土木工事の記念碑的な遺跡である。それを壊して研究所の庁舎を建設したのでは…、かくして奈良文化財研究所の新庁舎もまた、設計変更と相成った。

 3度目はこの1年。6年ぶりに戻ってきた博物館では、本館(明治古都館)の改修・免震化工事に備えて発掘調査をしていて、本館北東の調査区で妙な枘穴のある礎石が二つ掘り出されていた。気になり何度か発掘現場を覗いている中で、秀吉創建期の築地塀の寄柱礎石ではないかという意見を聞かされた。確かに、秀吉の方広寺創建からさほど隔たらない時期に大々的に修理された教王護国寺(東寺)の築地塀のそれと酷似しており、塀?に沿って掘られた溝の出土土器も、自分で実測してみて桃山時代のものと確認できた。

 どうやら、今まで残っていないと思われていた秀吉創建時の築地塀跡とみて間違いなさそうだ。秀頼再建期の回廊跡を保存したのに、秀吉創建期の築地塀跡を残さないわけにはいかないだろう。これでも考古学徒のはしくれだから、凄い遺跡を目にすることができたことは嬉しくもある。しかし、転勤の度に建物工事に関わって保存すべき遺跡が発見され、その対応に追われているのは、運がいいのか悪いのか。

 あれこれ思うことはあるけれども、ともかくなすべきことをするしかない。なぜなら、文化財の保護こそは国立文化財機構が掲げるべき根本の大義なのだから。

秀吉創建期の築地塀寄柱礎石
秀吉創建期の築地塀寄柱礎石

[No.211 京都国立博物館だより7・8・9月号(2021年7月1日発行)より]

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