開催概要
展覧会名 | 特別展 池大雅 天衣無縫の旅の画家 |
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会期 | 2018(平成30)年4月7日(土)~ 5月20日(日) |
会場 | 京都国立博物館 平成知新館 |
交通 | JR、近鉄、京阪電車、阪急電車、市バス 交通アクセス |
休館日 | 月曜日 ※ただし4月30日(月・休)は開館、翌5月1日(火)は休館 |
開館時間 | 午前9時30分から午後6時まで(入館は午後5時30分まで) ※ただし会期中の毎週金・土曜日は午後8時まで(入館は午後7時30分まで) |
観覧料 |
一般 1,500円(1,300円) 大学生 1,200円(1,000円) 高校生 900円(700円) ※( )内は20名以上の団体料金。 ※中学生以下は無料です。 ※障害者手帳等(*)をご提示の方とその介護者1名は、観覧料が無料になります。 (*) 身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳 ※大学生・高校生の方は学生証をご提示ください。 ※キャンパスメンバーズは、学生証または教職員証をご提示いただくと、各種通常料金より500円引きとなります。 【特別チケット情報】 ●各部200枚限定! 夜の特別鑑賞会チケット *販売を終了しました。 ●1,000枚限定! 早割チケット *販売を終了しました。 ●前売ペアチケット *販売を終了しました。
●グッズ付き前売券 *販売を終了しました。 ●前売券 *販売を終了しました。 |
ワークショップ | 詳細は指で描こう!指墨画にチャレンジ |
記念講演会 |
●4月7日(土)*終了しました。 ●4月14日(土)*終了しました。 ●4月21日(土)*終了しました。 ●4月28日(土)*終了しました。 ●5月12日(土)*終了しました。 【時間】午後1時30分~3時 【会場】平成知新館 講堂 【定員】200名 【参加方法】当日12時より、平成知新館1階グランドロビーにて整理券を配布し、定員になり次第、配布を終了します。聴講無料(ただし「池大雅」展の当日の観覧券が必要)。 |
記念イベント |
●4月13日(金)*終了しました。 |
展覧会図録 | 南門および平成知新館内ミュージアムショップにて販売中です。 一冊2,500円(税込)(A4変形・304頁・掲載作品162件) |
主催 | 京都国立博物館、読売新聞社 |
協賛 | 清水建設、大和ハウス工業、野崎印刷紙業、非破壊検査 | 協力 | 日本香堂 |
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展覧会の見どころ
円山応挙や伊藤若冲など、個性派画家がしのぎを削った江戸時代中期の京都画壇。その活況のなかで、与謝蕪村とともに「南画の大成者」と並び称されるのが池大雅(1723~76)です。その作品は、寡欲で恬淡、きわめて謙虚だったと伝えられる人柄を象徴するかのような、清新で衒いのない明るさに満ちています。
本展では、大雅の初期から晩年にいたる代表作を一堂に集め、その画業の全体像をご紹介します。あわせて、その人となりや幅広い交友関係を示す資料を通して、当時から愛された人間大雅の魅力に迫ります。さらに、大雅が日本各地を訪ねた「旅の画家」であることをふまえ、彼の旅が絵画制作に果たした役割についても検証します。
大雅の生い立ちと初期の作品
池大雅は、京都銀座の下級役人だった父のもとに生まれました。4歳の時に父を亡くした大雅は、7歳で書を学び始めるとただちにその才能を発揮し、萬福寺十二世・杲堂元昶(こうどうげんちょう)から「神童」とまで称されています。
15歳になった大雅は、扇屋を開いて生計を立てるようになります。中国から舶載された画譜などを参考に、扇に絵を描いて売っていたのです。そんな10代の大雅を支えたのは、多くの人々との出会いでした。大和郡山藩の重臣だった柳沢淇園は早くから大雅の才能を見抜き、物心両面にわたり支援しました。また、生涯の友となる篆刻家・高芙蓉(こうふよう)、書家・韓天寿(かんてんじゅ)と出会ったのもその頃のことです。
指墨画─墨を操る魔法の指
20歳代の後半を中心に、大雅は筆の代わりに指を用いて描く「指墨画」を多く制作しています。中国から伝わり、日本でも柳沢淇園らが実践した指墨画は、本来即興性の強い、いわばパフォーマンス・アートですが、大雅は指墨独特の表現に積極的な意義を見出し、それを自身の様式へと取り入れていきました。
大雅にとって、指墨は奇を衒ったその場限りの芸ではなく、自己の表現様式を確立していくうえでの重要な模索の軌跡だったのです。
大雅と書
7歳の時に「神童」と称されたエピソードが象徴的に示すように、大雅は画家としてだけでなく、書家としてもその名を馳せた人でした。当時流行した、唐様(からよう)と呼ばれる中国風の書風を基礎に置きつつ、伸びやかで格調高いスタイルにその魅力があります。若いころ扇屋とともに印刻店を営んだと伝えられる大雅は、篆(てん)・隷(れい)を含む各体はもとより、仮名においても懐の広い優れた書を残しています。
数ある大雅の書作品の中から、特に画との見事な調和を見せる作品を中心に、大雅の書の世界をご紹介します。
旅する画家―日本の風景を描く
大雅は、多くの旅を重ねた画家でした。26歳の時、江戸に遊んだ大雅は、そこから塩竈、松島にまで足を延ばし、その美しい景色に目を奪われます。翌年には北陸地方を遊歴したほか、20歳代後半から30歳代にかけて、伊勢や出雲など各地を旅しています。なかでも、38歳の時に友人の高芙蓉・韓天寿とともに白山・立山・富士山の三霊山を踏破した長途の旅行は、「三岳紀行図屏風」によってその詳細を知ることができます。
旅先で目にした自然の実感にもとづく風景表現(真景図)は、大雅の画業を特徴付ける主要テーマとなっただけでなく、これ以降の作品にも大きな役割を果たすことになります。
天才、本領発揮―大雅芸術の完成
大雅の絵画芸術は、40歳頃に完成された自己の様式へと到達します。伸びやかな筆線、デリケートな色彩の扱い、確かな画面構成力など、大雅のキャリアにおいて最も魅力にあふれるのが40歳代以降の時期です。国宝・重要文化財に指定される作品のほとんどがこの時期に集中していることは象徴的といえましょう。
「蘭亭曲水・龍山勝会図屏風」など、この時期の作品に顕著な優れた空間表現には、20~30歳代にかけての旅を通じて得た自然景の実感が反映していると考えられています。大雅の画業において、旅がいかに大きな意味をもったかがおわかりいただけるはずです。