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展示

2016年6月16日

特集陳列「徳川将軍家と京都の寺社-知恩院を中心に-」開催中☆

こんにちリン!
トラりんだリン!


みんな、いよいよ特集陳列「徳川将軍家と京都の寺社―知恩院を中心に―」が始まったよ!

関西で人気のある戦国武将といえば、大坂城を築いた豊臣秀吉(とよとみひでよし)(1536-1598)だリン。
低い身分から関白までのぼりつめたサクセス・ストーリーもおもしろいよね。
でも、豊臣家を滅ぼしたライバルの徳川家康(1543-1616)の人気は、ボクのまわりではどうもいま一つな感じ・・・
そんな徳川家康と京都をテーマにした展示をするっていうんだから、興味津々だリン!


実はボク、今日は約束があって展示室に来てるんだ♪

待ち合わせ場所はここ!

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2014年に重要文化財に指定された、徳川家康・秀忠坐像(とくがわいえやす・ひでただざぞう)(京都・知恩院(ちおんいん))。
お寺の外で、2体揃って公開されるのは初めてなんだって!
我ながら、贅沢な待ち合わせ場所だリン・・・


大原研究員:トラりん、こんにちは!
今日は特集陳列をより楽しむことができるように、一緒に勉強しようね!

トラりん:大原研究員♪どうぞよろしくお願いしますリン!(ぺこリン☆)

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トラりん:なんで徳川家康の展覧会をすることになったリン?

大原研究員:今年は徳川家康が亡くなってから、ちょうど400年目だからなんだ。
トラりんは、京都駅の近くにある東寺の五重塔をしっているかな?

トラりん:あたりまえだリン!バカにしないでほしいリン!

大原研究員:ごめん、ごめん。でも、それが家康の孫の三代将軍・徳川家光(いえみつ)(1604~1651)のおかげで建ったことは知っているかな?
他にも清水の舞台で有名な清水寺本堂もそうだね。今年、国宝になった石清水八幡宮の社殿も、上下賀茂社の社殿もそう。
京都国立博物館のそばにある智積院(ちしゃくいん)は家康のおかげで建ったんだよ。
それから、祇園の目印・八坂神社の本殿は、四代将軍・徳川家綱(いえつな)(1641-1680)が作ったんだ。

トラりん:ええっ!京都の観光名所が、いっぱい!!

大原研究員:そうなんだ。徳川将軍家が、新しい秩序の支配者として京都の寺社を保護したことを、忘れてはいけないとぼくは思うんだ。
だから、江戸幕府を開いた家康は、今の京都を作った恩人とも言えるよね。

トラりん:なるほど!いちおう、ちゃんと考えているリンね。

大原研究員:ありがとう(苦笑)。
それはともかく、トラりんは、タイトルにも入っている「知恩院(ちおんいん)」を知っているかな?

トラりん:お寺の名前ということだけわかるリン!(キリッ☆)

大原研究員:うーん、何から話してよいやら。
知恩院は京都の祇園の近くにある大きなお寺なんだよ。
このお寺自体は鎌倉時代に法然(ほうねん)(1133-1212)という、浄土宗を開いた偉いお坊さんのお墓から出発して、法然の教えを慕う(したう)人々によって大きくなっていったんだ。
現在のような規模になったのは、徳川家康が、お母さんの於大の方(おだいのかた)(1528-1602)の冥福(めいふく)を祈るために手厚い支援を加えたからなんだよ。

トラりん:お母さんのことが大好きだったリンね・・・

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大原研究員:知恩院では、今でも於大の方と家康、そして家康の息子で引き続き知恩院を引き立てた二代将軍・徳川秀忠(1579-1632)をとても大切にしているんだよ。
御影堂(みえいどう)という法然をまつった一番大きな建物の中には、於大の方、家康、秀忠の木で作られた肖像が3体おまつりされているんだ。
今回の展覧会ではこの3体が全部でているよ。
じつは、この御影堂が現在修理の最中だから特別に展示させてもらえることになったんだ。

トラりん:3体全部?!!おぉぉぉぉぉ!!!

大原研究員:最初に於大の方の像が作られ、ほどなくして家康の命(めい)により家康自身の像が一緒に安置されたと伝えられているんだ。
その後、元和6年(1620)に秀忠の命令で七条仏師・康猶(こうゆう)によって秀忠像が制作されたんだよ。

トラりん:秀忠は、自分でこの像を作らせたんだね!
生きてる間に作った肖像のせいか、とっても迫力があるリン!
それにこうやって3つ並ぶと、さすが親子三代!そっくりだね☆

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大原研究員:家康像は、秀忠像と作り方がとてもよく似ているので、同じ康猶によって、家康が亡くなる直前に作られたと考えられているよ。
でも、変だと思わない?

トラりん:えっ?目があって、鼻があって・・・

大原研究員:いやいやいや、そうじゃなくて。
家康は75歳で亡くなったんだけど、この像はとても若々しい姿で表現されているよね。

トラりん:確かに、75歳にはとても見えないリン!

大原研究員:これは、家康が若いころの姿で作ってほしいと考えたということだよね。
本来、肖像というのは似ていることに意味があるはずだけど、必ずしも現実そのままを写すことに意味があったわけではないということだね。

トラりん:欠点は誰だって目立たなくしたいものだリン!
生きているうちに作った作品なら、余計に気にするよね。

大原研究員:独眼竜(どくがんりゅう)で有名な伊達政宗(だてまさむね)(1567-1636)を知っているかな?
彼は幼い頃の病気で右目を失明したことを終生苦にしていて、後世に残す肖像は両目をきちんと表現したものにするよう遺言しているんだよ。

トラりん:ボクも「顔が怖い」って言われることを密かに気にしているから、みんなの写真にはできるだけ可愛く写りたいと思ってるリン!

大原研究員:そんな努力があったんだね。全然関係ないけど、トラりんの額(ひたい)の縞々(しましま)は笑った人の顔に見えるし、頭の後ろの縞々は泣いた人の顔に見えるね。

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大原研究員:それはともかく、家康はなんで40歳くらいの若いころの姿を残そうとしたんだろうね? 単に、年老いた姿を後世に残したくなかっただけなのかもしれないけど・・・
実はこれはぼく個人の考えだけど、もう一つ可能性があるとみているんだ。

トラりん:他の理由?なんだろう・・・

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大原研究員:それは、死後に神様としてまつられることを本人が想定していたということ!
家康は死後、関東の鎮守(ちんじゅ)として日光にお社(やしろ)を建てるように遺言を残しているんだ。
これが現在の日光東照宮で、東照大権現(とうしょうだいごんげん)というのが神様としての家康の名前なんだよ。

トラりん:家康さんは、いま神様なの?!!
思っていた以上に、凄い人だったリン!!

大原研究員:家康のライバルだった豊臣秀吉も豊国大明神(とよくにだいみょうじん)となっているから、それも意識していたんだろうね。
ちなみに京都国立博物館の真横に豊国神社があるけれど、そこは秀吉をまつっているんだよ。
日本の神様は神社の定期的な造り替えなどで若々しさを取り戻すという考えがあったり、若宮(わかみや)という神様がいたりするよね。
この若さに神様の力を見出していたから、家康自身は神様としてまつられることを考えて、一番気力が充実していた時期の姿を後世に残したいと思ったのかもしれないね。

トラりん:一番美しい自分を見てもらいたいという気持ち、ボクもわかるリン!

大原研究員:でもね、家康のことを終生敬愛し続けた孫の家光(いえみつ)にとっては、幼き日の優しい祖父の面影が強かったんだろうね。
これ以降は、家康の肖像は年老いた最晩年の姿で表されることが多くなるんだ。
みんなには、実際に家康が後世に残したかったであろう姿をこの木像から偲(しの)んでもらいたいなと思っているよ。

トラりん:この像をじっと見つめていると、家康さんとお話しているみたいな気分になるもんね!
家康さんのおかげで、京博も京都の魅力を伝えることができるのかもしれないリン。

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特集陳列 徳川家康没後四百年記念「徳川将軍家と京都の寺社─知恩院を中心に─」

会期:2016(平成28)年6月14日(火)~7月18日(月・祝)
会場:京都国立博物館 平成知新館 1F-2,3
休館日:月曜日 *ただし、月曜日が祝日・休日となる場合は開館し、翌火曜日を休館とします。
開館時間:午前9時30分から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)

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