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展示

2024年1月19日

特集展示「弥生時代 青銅の祀り」を見に行くリン♪

こんにちリン!
トラりんだリン!
きょうは古谷研究員と、おまつりに行く約束をしているよ!

おまつりの恰好のトラりん、登場

furuya(古谷研究員)
トラりん、久しぶり~!

古谷研究員、登場

torarin(トラりん)
古谷研究員!

furuya
どうしてそんな恰好をしているの?

torarin
え?だってきょうはおまつりに行くんでしょ?
おめんにうちわで、おまつり気分をもりあげているリン!どんな屋台が出るのかな~(じゅるりん☆)

「祭」うちわにいぶかしむ古谷研究員

furuya
たしかにきょう見に行く展示には、「まつり」って言葉が出てくるけど、トラりんが想像しているおまつりとはちょっと違うかもしれないよ。

torarin
どういうこと?

furuya
まずは、展示タイトル「弥生時代 青銅の祀(まつ)り」の意味を説明するね。
弥生時代と言えば、日本では旧石器時代の後の新石器時代、つまり縄文時代の次にあたる時代だよ。次に、「青銅」というのは「青銅器」のことだね。世界の多くの地域では、人々の暮らしを支えた生活の道具は「石器から青銅器、さらに鉄器」へと発達していった様子が確認されていて、青銅器時代という言葉も聴いたことがあるかもしれないね。

torarin
えーと、縄文時代が新石器時代だとすると、弥生時代は青銅器時代ってこと?

furuya
トラりん、さすがのみこみが早いね!ところが、実は、そう単純ではないんだ。日本列島は狩猟・採集の生活を中心とした縄文時代が1万年も続いたため、鉄器と青銅器は弥生時代に大陸からほぼ同時に伝わったんだ。

torarin
弥生時代は、青銅器と鉄器、どちらもある時代だったんだね!

furuya
そういうこと!それで、実用的な鉄器に対して、青銅器は非実用的な祀り(まつり=祭祀)の道具として発達したんだ。それぞれを使い分けたんだね。
青銅器は、近畿や九州地方を中心にして、銅鐸(どうたく)銅剣(どうけん)・銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)などがさまざまに展開したんだよ。今回の展覧会では青銅器の祀り(祭祀)に注目して、日本列島独自の弥生時代青銅器文化の特色と発達の様子を紹介するね!

torarin
青銅器が使われたおまつり、どんなものだったか気になるリーン!
ということは、こっちじゃなくて...

うちわをひっくりかえすトラりん

torarin
こっちだね!

「祀」の文字を見せるトラりん
furuya
そう、そっち!
それじゃあ、さっそく展示室へ...

furuyatorarin
れっつごー!



torarin
ところで、弥生時代ってどんな時代だったの?

furuya
弥生時代は日本列島で初めて米作りなどの本格的な農業が始まった時代で、暮らしの中心的な仕事が人々の協力によって行なわれるようになった時代だよ。その分、多くの作物が効率よく作られるようになり、人口も増えてムラの規模もより大きくなって行ったんだ。

torarin
おコメやお野菜が作られるようになったんだね!食べものをわざわざ探しに行かなくてもよくなったのは、らくちんだリン♪

furuya
だけど、おコメはとくに種蒔(たねま)きや田植えから稲刈りまで、ときには半年以上も長い期間がかかるので、縄文時代に比べていろんなリスクが大きいことが特徴だね。実際、江戸時代の農民の記録を見ても、相当苦労していた様子がうかがえるんだよ。

torarin
そっかぁ、農業は農業で、大変なんだね!せっかく育てても、実らなかったり、枯れちゃったりしたら悲しいリン...

furuya
それで、弥生時代の人々は次第に、天候や病害虫から作物の無事を祈る「祭祀(さいし)」、つまり「祀り」を重要に考えるようになって、その祀りの道具も発達していったらしいんだ。

torarin
作物が元気に育つように、お祈りすることを「まつり」っていうんだね!

furuya
そういうこと。そしてその祀りに、青銅器を使っていたのではないかということなんだよ。

torarin
青銅器を見て、「あ!これはまつりの道具だ!」ってどうして分かるの?

furuya
弥生時代の青銅器はすぐに大型化したりして、実際の戦争や家畜の移動などの仕事には向かない特徴をもつから、このような農業の祀りに使った非実用的な道具という説が有力なんだよ。

torarin
大きさや形の特徴でわかるんだね!

furuya
それでは早速、弥生時代の青銅器を見てみようか。
最初に紹介するのは、重要美術品「流水文銅鐸(りゅうすいもんどうたく)」だよ。


重要美術品 流水文銅鐸 京都府与謝郡与謝野町明石出土 京都国立博物館所蔵

torarin
あ!どうたくだリン!

furuya
よく知っているね、トラりん!

torarin
ミュージアム・カートでレプリカをさわらせてもらったよ!とっても不思議な形だリン!
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furuya
明治26年(1893)に、現在の京都府与謝郡与謝野町明石(あけし)にある須代(すしろ)神社の裏の斜面から出土した銅鐸だよ。昭和37年(1962)に、地元の明石区から京都国立博物館が購入したもので、京都国立博物館の代表的な銅鐸としてとても有名な銅鐸なんだ。鐸身には美しく整った水が流れるような文様が表されているね。「流水文(りゅうすいもん)」と呼ばれる文様を施した銅鐸の代表例だよ。

torarin
流れる水のような模様なんだね!たしか、おさかなもいたような...

furuya
お、トラりん、よく覚えているね!
鈕(ちゅう)と呼ばれる把手(とって)に施された連続した渦巻(うずまき)文様の間に、実は魚の図像があるんだよ。
象形文字のようにやや四角張っていて簡略化された表現だから見つけづらいけど、背鰭(せびれ)や胸鰭(むなびれ)などの特徴もよく捉えていて、左右から天辺(てっぺん)に向かって泳いでいるようだね。おさかなたちのかわいらしい姿もこの銅鐸の見どころだよ。

torarin
このとっての部分のうずまき模様のすき間にいる、三角形がおさかなたちなんだね!みんなで水の流れの中を泳いでいるみたい♪楽しそうだリン!

furuya
次に紹介するのは、「銅剣(どうけん)」だよ。


銅剣 大分県大分市浜出土 京都国立博物館所蔵

torarin
あ!剣だ!!

furuya
弥生時代には残念ながら戦争が始まっていたから、朝鮮半島の影響を受けて日本列島でも身が細く鋭い形(細形)をした武器として、銅剣が造られるようになったんだ。

torarin
じゃあ、ここに並んでいる銅剣たちは、戦いで使われていたの?

furuya
それがね、違うんだ。さっき青銅器は「まつり」の道具って話したでしょ?

torarin
そうだったリン!

furuya
これらの銅剣は、幅が広くて平たい形をしているよね。弥生時代の銅剣は、鋭い形からこのような平たい形(中細形・平形)にうつりかわっていったことが判っているんだよ。つまり、日本列島では青銅器が、実用的な武器から祀りに使われる道具へと、大きく変化したと考えられているんだ。

torarin
武器じゃなくて、「まつり」の道具なんだね!どんな「まつり」をしていたんだろう...

furuya
どんなまつりだったのかな。このような武器の形をした青銅器は、主に北部九州地方から中国・四国地方に分布していて、これらの地方で重要な祀りの道具として造られたと考えられているんだ。
なかには、数十本から数百本が同時に埋納(まいのう)されていた例もあるんだよ。

torarin
そんなにたくさん!?埋められることに意味があったのかな?

furuya
青銅器は同じ種類がたくさん一緒に埋められた例が多くあるので、埋めることが儀式に必要だったと考える説も有力だね。

torarin
ふむふむ、ますます興味がわいてきたリン!

furuya
そして最後に紹介するのは、重要文化財「銅戈(どうか)」だよ。


重要文化財 銅戈 福岡県春日市小倉新池(紅葉ヶ丘遺跡)出土 京都国立博物館所蔵

torarin
青銅器ってキレイな色だリン♪

furuya
ただ、現代の技術で青銅器の成分、銅・錫(すず)・鉛を再現して鋳造すると、金色に近い色になるので、もともとは金色に近い色だったようなんだ。

torarin
えーっ!金色だったんだ!今の色とは全然違ったんだね。そもそも「どうか」ってなぁに?

furuya
銅戈(どうか)は展示室の参考図にもあるように、中国で紀元前から使われた長い柄の先に取り付けて横から敵の首をねらう恐ろしい武器で、弥生時代に伝わってきたんだよ。
福岡県の小倉(こくら)新池の銅戈は、1967(昭和42)年に春日市紅葉ヶ丘西にある小倉新池の近くで宅地造成工事中に偶然発見されたんだけど、しばしば一度に複数が出土する武器形青銅器のうち、大量出土例の代表だね。

torarin
一度にたくさん出てきたんだね!

furuya
埋めた時の状態がよく分からないのは残念だけど、ほとんどが中広形で同じ鋳型で製作した製品、つまり同笵品(どうはんひん)が多く含まれていることが特徴だね。鋳造の技術を考える上でとても重要な資料なので、1981年には重要文化財に指定されたんだよ。

torarin
同じ形が一緒にたくさん出てきたおかげで、どうやって造ったのか研究ができるんだね!

furuya
そのとおり!このうち、25本が京都国立博物館に収蔵されているんだけれど、この遺跡は現在、紅葉ヶ丘遺跡と呼ばれていて、あとでさらに2本の銅戈が出土したんだ。
パネルの2本の銅戈は、春日市の奴国の丘歴史資料館に展示されているよ。

torarin
どんな「まつり」に使われていたのかな?
だんだんおさかなに見えてきたリン...

torarin
ん~、きゃっち!
おさかなキャッチ

furuya
トラりんなら、おさかなに見立てたまつりにしてしまいそうだね!

torarin
あ!ねぇねぇ、それからこれはなぁに?

埋まっている銅鐸の写真パネル
furuya
これは静岡県浜松市で銅鐸が発掘調査で出土した時の写真で、鈕や鰭(ひれ)と呼ばれる縁の薄い部分を立てて埋めていることがよく判るね。
弥生時代の青銅器は武器形の銅剣や銅矛・銅戈もみんな刃の部分を立てて埋めていることが特徴で、九州から東海地方まで共通しているから、青銅器のまつりでは同じような儀礼が行われていた可能性が考えられているんだ。

torarin
不思議に包まれているリン!
弥生時代の青銅器のこと、まつりのこと、もっと知りたいリン!

furuya
そんなトラりんに、今回の特集展示に合わせた図録も刊行されているので、紹介するね。

torarin
かっこいい表紙だリン!

furuya
今回展示された京都国立博物館と文化庁所蔵の青銅器がぜんぶ掲載されているほか、きれいな表紙で、青銅器はもちろんだけど、弥生時代の概説をはじめ、参考になる写真・図面や参考文献も充実しているよ。

埋まっている銅鐸の写真パネル

torarin
フルカラーでコラムも充実!読みごたえ、たっぷりだリン!

furuya
トラりんも是非、じっくりみて勉強しながら、弥生時代の人たちの祈りや想いに触れてほしいなあ。
図録・目録・関連書籍等

torarin
わかったリン!おともだちにも教えてあげるね!

furuya
今からおよそ2000年前後の昔に造られた日本列島独自の青銅器を通して、当時の人たちの祀りの様子に想い浮かべながら、たくさんの皆さんに見て頂きたいね。

furuyatorarin
展示室で待っているリン♪



\展覧会概要/
特集展示 弥生時代 青銅の祀り
■会期:
2024年1月2日(火)~ 2月4日(日)
■会場:
京都国立博物館 平成知新館1F-2
■休館日:
月曜日
※ただし1月8日(月・祝)、1月9日(火)休館
■開館時間:
9:30~17:00(入館は16:30まで)
金曜日は19:00まで開館(入館は18:30まで)
■関連土曜講座:
○1月20日(土)13:30~15:00
「京都と弥生青銅器―研究の歴史と京博コレクションの形成―」
講師:古谷 毅(京都国立博物館 研究員)
○1月27日(土)13:30~15:00
「銅鐸の変遷と画期」
講師:難波 洋三 氏(京都国立博物館 客員研究員)



\埋納された!銅鐸の気分になってみる/
寝転び丸くなるトラりん

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