博物館ディクショナリー

刀の拵(かたなのこしらえ)

 NHKで放送されたドラマ「毛利元就(もうりもとなり)」を見たことがありますか?もし見る機会があれば、登場人物の左の腰あたりの刀に注目して見て下さい。元就や毛利家の家臣たちは、ふだん刀の反(そ)りを上向きにして腰帯に差しています。ところが儀式などで威儀(いぎ)をただす時や、いくさの際に甲冑(かっちゅう)で身をかためている時は、もっと長い刀を反りを下にして、腰にぶら下げているのです。つまり元就の生きていた室町(むろまち)時代、16世紀前半ごろには、一口に「刀」と言っても、時と場所によって異なる種類のものを、付け方も違えてたずさえていたことを、ドラマはわりあい忠実に再現しています。

 もともと、正式の刀は、「太刀(たち)」と呼び、腰にぶら下げてつける(太刀を「佩〈は〉く」と言います)ものでした。展示している刀拵(かたなこしらえ)の多くは、この太刀をおさめた「太刀拵」で、ぶら下げるための「帯取(おびとり)」という下(さ)げ緒(お)が2本ついています。鎌倉(かまくら)時代のころには、これと別に「腰刀(こしがたな)」という腰に差す短めの刀があり、当時の合戦絵巻(かっせんえまき)には、腰刀だけを差した下級武士の姿も見られます。そして時代が降(くだ)るにつれて、この差す刀が日常用の武器として一般化し、小(ちい)さ刀(がたな)、打(う)ち刀(がたな)、刀(かたな)、脇指(わきざし)といった名前で呼ばれるようになったのです。江戸(えど)時代のドラマ「水戸黄門(みとこうもん)」などでは、武士はみな大小揃(そろ)いの刀を差しています。このころ太刀は、もう儀式用の道具となってしまっていて、通常の場面には登場してこないという訳です。

さて次の「黒漆大刀(くろうるしたち)」をほかの太刀拵と見比べて見て下さい。

  • 黒漆大刀拵
    黒漆大刀拵
    (平安前期、9 世紀)
    重要文化財<鞍馬寺蔵>

これは鞍馬寺(くらまでら)に伝わる平安(へいあん)時代のひじょうに古い拵で、9世紀はじめに東北地方を平定した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の品という伝説まで残っています。表面に黒漆を塗っただけの簡素な造りですが、よく見ると、刀身の反りがない直刀(ちょくとう)です。古墳(こふん)時代から続いた伝統的な形で、「たち」という読みは同じですが漢字では「大刀」と書き、反りのついた「太刀」と区別されます。

 直刀に反りがつき弯刀(わんとう)の太刀となったのは、より実戦向きに改良されたためとか、敵を突く方法から打ち倒す方法へと戦いのやり方が変わったためとか、いろいろな説が出されていますが、本当の理由はわかっていません。ともかく平安時代後期、11世紀ごろに完成された太刀ではありますが、その拵にはさまざまな種類が鎌倉時代から室町時代にかけて登場しました。

  • 松藤文兵庫鎖大刀拵
    松藤文兵庫鎖大刀拵
    (鎌倉時代 13世紀)
    <重要文化財(個人蔵)>

 実戦用として最も一般的であった黒漆塗太刀のほか、金メッキの銅板で鞘(さや)を包み帯取を鎖(くさり)でこしらえた「兵庫鎖太刀(ひょうごぐさりたち)」は高い位の武士が、また把(つか)に骨のような形の透かしを入れた「毛抜太刀(けぬきたち)」は衛府官人(えふかんじん=都の警護にあたった役人)が佩用(はいよう)したとされ、また表面をひじょうに豪華な金具、宝石、螺鈿(らでん=漆塗りの表面に青貝片を貼り込む技法)などで飾った「飾剣(かざたち)」は、奈良(なら)時代に中国・唐(とう)から伝わった太刀の形を受け継いだもので、宮廷貴族の正装に佩用されました。

  • 沃懸地菊紋蒔絵手抜大刀拵
    (江戸時代19 世紀)
    <仁和寺蔵>

 これらの太刀拵は、上にも書きましたが、時期が降るにつれて儀式のためだけの道具となり、江戸時代には大名らが神社や寺に奉納する品にまでなったのです。しかしそれだけに、造りはあくまで豪華で、工芸の技巧を凝(こ)らした作品がたくさん残されています。庶民の生活とは最も遠いところにある美術品ともいえますが、じっくりと鑑賞すると、戦いのためのただ血生臭いだけの武器といった刀のイメージが、ずいぶんと変わって見えるのではないでしょうか。

工芸室 久保
1998年3月8日

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