博物館ディクショナリー

加彩婦女立俑(かさいふじょりつよう)

 かわいい狗(いぬ)を腕に抱き、にこやかに笑みをうかべている太った女性の像があります。これは中国の唐(とう)時代の「やきもの」で、「加彩婦女立俑(かさいふじょりつよう)」の名で呼ばれるものです。

  • 加彩婦女立俑 <京都国立博物館蔵>
    加彩婦女立俑 <京都国立博物館蔵>

 中国では古い時代から、人が死ぬと死後の世界があり、そこでの生活があると考えてきました。そのため権力者や貴族たちは、大きくて立派な墓を作り、死ぬと、召し使いたちや家来、馬や馬車などもいっしょに墓に埋めました。これを殉葬といいます。
 しかし文明がすすむにしたがって、生きた人をいっしょに埋めるのは「かわいそうだ」というので、木や石、土や「やきもの」などで作った人形に代え、また動物やいろいろな道具なども作って一緒に副葬(ふくそう)しました。

 この人の形を象(かたど)ったものを「俑(よう)」=「ひとがた」といい、それを「やきもの」で作ったものを「陶俑(とうよう)」といいます。そして道具や動物類をいろいろな素材で作ったものを「明器(めいき)」と呼んでいます。

「俑」や「明器」は、中国の漢(かん)時代(BC 2~AD3世紀)から唐時代(7~9世紀)にかけて作られました。

 陶俑や「やきもの」で作られた明器には、技術的に二つのちがったものがあります。一つは、釉(ゆう)とか上釉(うわぐすり)と呼ぶ一種のガラス質のもので表面を飾った緑釉(りょくゆう)や三彩(さんさい)であり、もう一つは釉をまったく用いず、鉱物質の絵の具(顔料)で彩色した「加彩(かさい)」と呼ばれるものです。

 この婦女立俑は、「加彩」のもので、よく見ると少しピンク色がかった土で形を作り、その上に白い泥をうすくぬって「白く」みせ、頭の毛には「黒」、くちびるやほっぺたには赤い「べに」色の「顔料」をぬって、彩色していた様子がうかがえます。

 こうした陶涌は、短期間にたくさん作るため、型を使って基本的な部分を作り、手の動きや持ち物、顔の表情、髪の形など、細部は箆(へら)で削ったり、「手ずくね」で作り足したりして、それぞれ変化をつけています。しかも釉をかけて作るより自由に細部まで表現できるのが利点で、そのため加彩のものがたくさん作られました。

 ところでこれらの陶俑はその時代の風俗や流行が分かり、どんなタイプの女性を美しいと考えていたかを具体的に教えてくれるものとして興味があります。

 作られた時期がはっきりしている墓から発掘された女性の俑をみると、唐時代初期の8世紀前半にはすらりとした細身の女性が作られています。しかし8世紀の中頃からは太った女性が作りはじめられ、この俑のように太った体に高く髪を結い上げたものは、9世紀初頭の墓から出土しています。

 これらの例から考えると、唐時代初期には細身の女性がよく、8世紀中頃から太った女性になり、9世紀にはいるとこれが定着していった様子がうかがえます。つまりこの加彩婦女立俑は、動きもあり、表現も豊かなところから、8世紀の末、唐時代の文化がもっとも華やかに成熟した時期に作られた代表的な「唐美人」だということができます。また彫刻としても魅力があり、施されていた彩色もほどよく残り、かわいい狗を抱いているのも、この作品を一層魅力あるものにしていると思います。

 おそらく唐文化の影響を強く受けていた日本の「天平の美人」もこうしたタイプだったかも知れませんネ。

工芸室 河原
1993年2月13日

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