博物館ディクショナリー

大阪・金剛寺の大日如来坐像(こんごうじのだいにちにょらいざぞう)

どこにあったの?
 金剛寺(こんごうじ)は大阪府河内長野(かわちながの)市にある真言宗(しんごんしゅう)のお寺。真言宗は平安時代に空海(774-835)が唐(とう)(今の中国)から伝えた密教(みっきょう)を宗旨(しゅうし)とします。空海が高野山に金剛峰寺(こんごうぶじ)を開いたことは教科書で勉強したでしょう。河内長野は大阪府の南端(なんたん)、和歌山県に接していて、京都から金剛峰寺に行く途中(とちゅう)にあります。鎌倉(かまくら)時代の終わりから、南北朝時代のはじめにかけて後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が滞在(たいざい)したこともありました。後醍醐天皇や楠正成(くすのきまさしげ)はこの像(ぞう)を拝(おが)んだはずです。
 この像が置かれていたお堂は現在修理中で平成29年までかかります。その間、博物館でお預(あず)かりしているのです。

  • 重文 大日如来坐像 <金剛寺>
    重文 大日如来坐像 <金剛寺>

大日如来(だいにちにょらい)とは?
 インドではマハーヴァイローチャナという仏(ほとけ)です。マハーは大きい、ヴァイローチャナは隅々(すみずみ)まで照らすという意味、つまりお日様。宇宙(うちゅう)の中心にあって、世界を照らし、恵みをもたらす存在(そんざい)です。日本では訳(やく)して大日如来と呼びます。
 ほかの如来(釈迦如来(しゃかにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)など)が装身具(そうしんぐ)を着けない質素(しっそ)な姿(すがた)なのに、大日如来は宝冠(ほうかん)をいただき、ネックレス、イヤリング、ブレスレットなどを着けて飾(かざ)っています。仏教(ぶっきょう)の最高位である如来の中でも特別な存在(そんざい)なのです。

身体の色
 大日如来の髪(かみ)の毛を除(のぞ)く体、身に着ける衣のすべて金色に輝(かがや)いています。人間を超越(ちょうえつ)した聖(せい)なる存在であるしるしです。この像は木で造られています。その上に漆(うるし)を塗(ぬ)って、金箔(きんぱく)を貼(は)っているのです。

なぜこんなに大きいの?
 大日如来は頭の上にまげのようなものを結っていて(冠(かんむり)にかくれて見えませんが、2階から見るとわかります)、そのてっぺんで測(はか)ると3メートル16センチ。
 お経(きょう)には如来の身長は4メートル80センチとあります。日本の昔の単位で言うと1丈(じょう)6尺(しゃく)です(1丈は約3メートル、1尺(しゃく)は約30センチ)。省略(しょうりゃく)して丈六(じょうろく)と言います。坐(すわ)っている像は立っている像の半分の2メートル40センチが丈六となります。
この像は、額(ひたい)の上の髪の生え際(ぎわ)で測ると2メートル40センチほど。実は髪の生え際で測ることが多いのです。
 三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)の中央の千手観音(せんじゅかんのん)坐像(ざぞう)、平等院(びょうどういん)鳳凰堂(ほうおうどう)の阿弥陀如来坐像も丈六です。

  • 智拳印(ちけんいん) 重文 大日如来坐像<金剛寺>
    智拳印(ちけんいん)
    重文 大日如来坐像 <金剛寺>

忍者(にんじゃ)のような手の形は?
 左手は人差し指だけ立てて他の指は握(にぎ)っています。親指の先はほかの指の中に入れます。右手で左手の人差し指を握りますが、右手の人差し指は一度伸(の)ばしてから曲げます。親指は他の3つの指の中に入れます。右手の人差し指は親指に接(せっ)するように曲げるのです。

いつ造(つく)られたの?
 このお像を安置する金剛寺のお堂は平安時代の終わりころ、1178年に建てられたという記録があります。造るのに必要な費用を出したのは鳥羽天皇(とばてんのう)の皇女(おうじょ)、八条院(はちじょういん)です。
 この像は堂と同じ時期に造られたと考えられます。やさしい顔、太っていない身体、ゆったりと組んだ脚(あし)、下半身にまとう布(ぬの)のしわが浅めで平行にあらわされていることなど平安時代後期に貴族たちの間で好まれた穏やかな姿です。仏像(ぶつぞう)の姿形(すがたかたち)には流行があって、時代によって変わります。

誰(だれ)が造(つく)ったの?
 仏像を造る彫刻家(ちょうこくか)のことを仏師(ぶっし)と呼びます。日本では飛鳥(あすか)時代、7世紀に法隆寺(ほうりゅうじ)金堂(こんどう)の釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)を造った止利(とり)が名前の知られる最も古い仏師です。鎌倉時代の仏師運慶(うんけい)、快慶(かいけい)の名前は聞いたことがありますか?
 鎌倉時代以降(いこう)の仏師が元祖(がんそ)として尊敬(そんけい)するのは定朝(じょうちょう)という仏師です。1053年に平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像を造った人です。当時の貴族(きぞく)たちに高く評価(ひょうか)され、工房(こうぼう)を構(かま)えてたくさんの仏像を造りました。定朝の弟子(でし)たちが3つの工房に分かれました。運慶、快慶が属(ぞく)する慶派(けいは)もそのひとつです。ほかに院派(いんは)、円派(えんぱ)があります。それぞれ「慶」「院」「円」の字を名前に付ける人が多いので、こう呼(よ)んでいます。この大日如来坐像は貴族の注文で造られたので、この3つの工房のどれかが造ったことは間違(まちが)いありません。

光背(こうはい)に注目
 像の背後(はいご)に立っているものを光背と呼びます。像が発する光を表現(ひょうげん)したものです。良く見ると小さな仏像が30体以上も付いています。この小像(しょうぞう)は鎌倉時代に造られたものです。何も書いていませんが、姿形でわかるのです。面白いポーズの像がありますから、探(さが)してみてください。

博物館ディクショナリー179号「大日如来坐像」PDF版

企画室長 浅見龍介
2015年5月14日

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