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斉白石(せいはくせき)ってどんな画家?
美術室 森橋 なつみ
2025年02月11日
中国の20世紀を代表する画家、斉白石(せいはくせき)を知っていますか? 中国だけではなく、世界的にたいへん有名な水墨画家(すいぼくがか)で、親しみやすい画風が多くの人の心をとらえています。斉白石の絵の魅力(みりょく)は、素朴(そぼく)さと簡潔(かんけつ)な描写(びょうしゃ)でありながら描(えが)いた対象の生命感をしっかりととらえていることです(図1)。画面(がめん)の構図や墨(すみ)や彩色(さいしき)の扱(あつか)い方、添(そ)えられた文字までも神経のゆき届(とど)いた、力強い作品ばかりなんですよ。とあるオークションでは、斉白石の作品にびっくりするような高額がついたこともありました。おや、何だか簡単(かんたん)に描けそうで、どうすごいのかよくわからない? それでは斉白石の魅力、彼の人生をたどりながら一緒(いっしょ)に探っていきましょう。

図1 三餘図(さんよず) 斉白石筆 中国・中華民国19年(1930) 京都国立博物館蔵
斉白石は1864年(同治(どうち)2年)、中国がまだ清(しん)という国だったころに生まれました。湖南省(こなんしょう)の湘譚(しょうたん)というところの出身で、家は貧しい農家でしたが、体が弱く力仕事ができなかった白石は、家具などに飾(かざ)りを彫る木工職人として暮(く)らしていました。転機が訪(おとず)れたのは29歳(さい)(※数え年)の時、胡沁園(こしんえん)(1847~1914)という人に才能を認められて、本格的に絵を勉強するようになります。このとき草花や鳥、虫などを写実的(リアル)に描く「工画(こうが)」という方法を学びましたが、ただ似ているだけではなく、「活(生き生きとしていること)」が大切だと教わったそうです(参考図版1)。同じころ、王闓運(おうがいうん)(1833~1916)という人から詩などの文学について学び、絵画のテクニックだけではなく、深い教養も身につけていきました。ここから斉白石の画家としての人生がスタートします。

参考図版1 飛蝗(バッタ)画稿 斉白石筆 中国・北京画院蔵
『中国近代絵画の巨匠 斉白石』展覧会図録 図38より
北京画院・東京国立博物館・京都国立博物館編 広西美術出版社 2018年
画家として大きく成長するきっかけは40歳を過ぎたころにおとずれました。それまでほとんど地元の湘譚(しょうたん)から外に出たことが無かった白石は、友人の誘(さそ)いで西安(せいあん)(陝西省(せんせいしょう))に出かけたのをきっかけに、中国国内を旅するようになります。たくさんの景色や人々に出会い、多くの過去の大作家の作品に触(ふ)れ、白石の芸術は一気に成長を遂(と)げて、彼だけの描き方を手に入れていきました(図2)。それから後は、リアルに描くだけではなく、素朴で大胆(だいたん)な構図と、自由なうごきの筆線をあやつり、軽やかでみずみずしい表現を追い求めていきました。これが白石の絵画の魅力なのです。

図2 宋法山水図(そうほうさんすいず) 斉白石筆
中国・中華民国11年(1922) 京都国立博物館蔵
のちに「五出五帰(ごしゅつごき)(五回出かけては故郷(こきょう)に帰ってくる)」といわれる大旅行を終えた白石は、故郷に戻ってしばらく絵を描くことに専念(せんねん)していました。しかし、第一次世界大戦の影響(えいきょう)が強くなってきた1919年、57歳のときに首都の北京(ぺきん)に引っ越(こ)しをしました。白石は北京でたくさんの作品を作り、展覧会(てんらんかい)などで大きく取り上げられ、日本人など海外にも知られる有名な画家となりました。白石の支援者となった須磨弥吉郎(すまやきちろう)(1892~1970)と出会ったのもこのころです。現在、京都国立博物館が所蔵(しょぞう)する須磨弥吉郎があつめたコレクションには、白石が人々に知られるようになって間もない頃(ころ)(1920~30年代)の作品がいくつかふくまれています(図3)。

図3 鶴図(独鶴漫歩、どくかくまんぽ) 斉白石筆
中国・中華民国16年(1927)
京都国立博物館蔵
戦争が長く続き、たいへんな時期もありましたが、1945年に終戦を迎(むか)え、1949年に中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)が成立してからは、初代総理(しょだいそうり)の周恩来(しゅうおんらい)(1898~1976)や、ふるさとが同じだった主席の毛沢東(もうたくとう)(1893~1976)から手厚くもてなされるほど、国をあげて大切にされる画家となりました。
とくに1953年に政府から「人民芸術家(じんみんげいじゅつか)」として表彰(ひょうしょう)されたことが、中国を代表する画家として広く認められる決め手となります。白石は1957年に95歳でなくなるその年まで、ずっと絵を描き続けました。
貧しい農家に生まれ、努力を続けて自分だけの表現にたどり着き、中国を代表する画家となった斉白石。みんなに愛される白石の作品の魅力について、本物をじっくり見ながら考えてみてくださいね。
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