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密教図像(みっきょうずぞう)でまなぶ、昔のコピー技術
美術室 大原 嘉豊
2024年07月30日
皆(みな)さんは、「絵師」というとどんな仕事を思い浮(う)かべますか。芸術作品を生み出す人、でしょうか?でも、昔はそれだけの役割(やくわり)ではありませんでした。
たとえば、国が中国などの海外に使いを派遣(はけん)したとき、現地の情報を伝えるために、絵師を同行させました。今の新聞やテレビのカメラマンと同じ役割を担(にな)ってもいたのです。
また、絵でないと伝えられない情報もあります。その代表が、仏教の図像です。密教(みっきょう)は、願いによって仏様や祈(いの)りの捧(ささ)げ方がこまかく区分され、手順も決まっています。とくに、仏様の姿(すがた)は、間違(まちが)えてはいけませんし、言葉では説明がゆきとどかないため、正確なコピーが大切になります。仏教の本場のインドから新しく中国に伝わった仏様の姿を正しく日本に伝えることが、中国に留学したお坊(ぼう)さんの大切な目的の一つでした。今と違(ちが)って、海外に行くのは大変でしたから、日本にもたらされた貴重(きちょう)な図像はあこがれの的で、それを持ち帰ったお坊(ぼう)さんも尊敬されたのです。また、その図像をさらにコピーして学んだのです。
そのため、コピーの技術が発達しました。お手本を横において写す「臨(りんしゃ)写」、お手本と紙を重ねて透(す)き写す「影写(えいしゃ)」が基本です。臨写より影写の方が正確なものができます。
影写の場合、下に置いたお手本がよく透けるよう、光にかざしたり、薄(うす)い紙を用いたり、紙に油を塗(ぬ)って半透明(はんとうめい)にする工夫などが行われました。
光にかざすのは、もっとも原始的なコピー技法です。昔は、中国・日本の絵はキャンバスを立てて描(えが)くことが多かったので、難(むずか)しい技術ではなかったのです。
薄い紙を用いるのも原始的な技法で、日本では雁皮紙(がんぴし)があります。普通(ふつう)、和紙は楮(こうぞ)から作られるのですが、雁皮紙はガンピ(雁皮)から作られる和紙で、薄くしなやかで丈夫で、トレーシングペーパーとしては最適です。ところが、この雁皮紙は、高価なうえ湿気(しっけ)を吸(す)いやすく、巻物(まきもの)などとして保存(ほぞん)するには不向きなものです。

図1 重要美術品 胎蔵界外金剛部図像(部分) 鎌倉時代 建久7年(1196) 京都国立博物館蔵
そこで、楮の紙を前提にコピー技術が発達します。紙が濡(ぬ)れると透けますが、これは光の屈折率(くっせつりつ)が変わり、紙の繊維(せんい)の乱反射(らんはんしゃ)を減らすからです。ただ、水では墨(すみ)がにじんでしまいます。そこで、油を使ったのです。油紙では、墨の線を弾(はじ)いているのが確認(かくにん)できます。ただ、油でも乾(かわ)かないといけません。そこで、荏胡麻(えごま)を原料とした荏油(えのあぶら)や桐(きり)を原料とした桐油(きりあぶら)などが使われました。黄色に変色しているのは、荏油を用いたのでしょう。油は紙全体に塗るときもあれば、必要な部分だけに塗ることもあります(図1)。
また、中国の文献(ぶんけん)では、蜂(はち)の巣から取れる蜜蝋(みつろう)を使ったという記事があります。つまり、パラフィン紙です。効果は油紙とは変わりませんが、日本での確実な使用例は知られていません。
しかし、話はこれですみません。鎌倉(かまくら)時代前半、十三世紀半ば以前は、紙はまだ高価なものでした。こういう時代では、使用した紙の裏面(うらめん)を用いた反故紙(ほごがみ)や、リサイクルした宿紙(しゅくし)を用います。特に宿紙は、墨の色が混じった灰色(はいいろ)でごわごわしており、影写に向いていません。
そこで、一つの解決方法として、角筆(かくひつ)が使われました。紙の上にお手本を置いて、お手本の線を先のとがったものでなぞるのです。下の紙がへこみますので、それを墨の線でなぞります(図2)。昔は、照明に灯明(とうみょう)を使っており、斜めから光をあてるとへこみに影(かげ)ができるので、意外と簡単で便利な技法でした。が、この方法には大問題があります。お手本が傷(いた)むのです。ですから、お手本自体が貴重(きちょう)な図像では少数派(しょうすうは)の技法で、紙の生産力が高まり値段(ねだん)が下がっていく鎌倉時代後半からは、廃(すた)れていきます。逆に、宿紙に角筆を使っていれば、鎌倉時代前半より昔に作られていたと予想もつくわけです。

図2 護摩爐壇形図像(部分) 鎌倉時代 13世紀 京都国立博物館蔵
これらコピー技術があれば、素人(しろうと)でもそれなりに形はコピーできてしまいます。ですから、コピーの技術も大切ですが、最終的には線の美しさが絵としての見栄えを左右しますので、ここでプロと素人の違(ちが)いを見分けていただきたいと思います。
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