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蓮(はす)を愛する人は…
美術室 森橋 なつみ
2022年06月14日
蓮の花が咲(さ)いているのを見たことがありますか?画題となる蓮には、大輪の花を咲かせ根(地下茎(ちかけい))がレンコンとして食用になる蓮と、水上に浮かぶ睡蓮(すいれん)と大きく二つの種類があります。いずれも夏から秋のはじめにかけて、公園の池やお城(しろ)の堀(ほり)、お寺などで見かけることができます。中国の人たちは、大昔からこの蓮の花に心をひかれていました。紀元前にできた中国で最も古い詩歌集の『詩経(しきょう)』では、花の美しさから女性のすがた、また「蓮(れん)」と「恋(れん)」の音読みが同じであることから恋人(こいびと)を象徴する花としてうたわれています。詩だけではなく蓮の花を絵に描(えが)くときも、たとえば四葉のクローバーが幸運のしるしとなるように、古くからいろいろな意味を持たせていました。
中国の画題では、特定の花と歴史上の人物が強く結びつく場合もあります。こちらは中国・明(みん)時代の終わりに藍瑛(らんえい)という画家がえがいた「荷郷清夏図(かきょうせいかず)」(図1)です。「荷」は荷物ではなく、蓮と同じ意味をもつ漢字で、「荷の生えた水郷(すいごう)の清々(すがすが)しい夏をえがいた図」という意味の題名です。遠くに山がそびえ、大きな川に囲まれた静かな村の景色の中で、一体どこに蓮があるのかよくわからないですよね。実は岸辺に点々とある小さな丸が、水に浮(う)かぶ蓮の葉っぱを表しています。画面の半分より少し上の方に、三角屋根の小さな建物(水亭(すいてい))があり、その中に1人の人物が座(すわ)っていて、外の水面に浮かぶ蓮を見て楽しんでいます(図2)。どうして顔もよく見えないのに、この人が楽しんでいるとわかるか不思議でしょうか?実は中国の絵画には、決まったパターンがあります。水辺で蓮の花を眺(なが)めている男性の姿(すがた)を見れば、すぐに思い浮かぶ人は北宋(ほくそう)時代の有名な学者である周敦頤(しゅうとんい)です。
図2 重要美術品 荷郷清夏図(部分) 藍瑛筆 長岡みゆき氏寄贈 京都国立博物館蔵
周敦頤は、韓国(かんこく)の国旗などにある「太極図(たいきょくず )」の原型を作ったとされることでも知られていますが、もう一つ、『愛蓮説(あいれんせつ)』という以下の文章でも有名です。漢文の読み方は少し難(むずか)しいですが、後につけた訳を参考にしてみてください。
水陸草木(すいりくそうぼく)の花、愛すべき者甚(はなは)だ蕃(おお)し。晋(しん)の陶淵明(とうえんめい)、独(ひと)り菊(きく)を愛す。李唐(りとう)自(よ)り来(このかた)、世人(よじん)甚だ牡丹(ぼたん)を愛す。予(よ)は独り蓮の汚泥(おでい)より出(い)でて染(そ)まらず、清漣(せいれん)に濯(あら)はれて妖(よう)ならず(中略)遠観(えんかん)すべくして褻翫(せつがん)すべからざるを愛す。予謂(おも)へらく、菊は華(はな)の隠逸(いんいつ)なる者なり、牡丹は華の富貴(ふうき)なる者なり、蓮は華の君子なる者なりと。
(訳)水辺や陸に生える草木の花には、愛でるものがたくさんあります。晋時代の陶淵明は、ただ一人、菊の花を愛しました。唐時代以来、世間の一般の人々は(豪華(ごうか)でおめでたい様子の)牡丹の花ばかりを愛しています。私(わたし)はただ一人、蓮の花の、汚れた泥の中から生えてきても泥に染まらず、清らかなさざ波に洗われて上品であり、(中略)遠くから眺めることができても、近くで手に取ってもてあそぶことができない様子を愛しています。私は、菊は花の隠逸の者(騒(さわ)がしい世の中を避(さ)けてつつましく生きる人)であり、牡丹は花の富貴の者(富(とみ)に恵(めぐ)まれて豊かな人)であり、蓮は花の君子(正しい行いをする立派(りっぱ)な人)であると思うのです、と。
さて、この文章にどんな気持ちが込(こ)められているかわかりましたか?周敦頤は、世の中の人が牡丹ばかりを喜んでいるなかで、汚れた泥の中でも清らかに花を咲かせる蓮の花の方がよっぽど好きだと言います。そして、手に届(とど)かず、遠くから眺めているのがまた良いのだと。この『愛蓮説』の文章がたいへん有名となり、水辺で蓮を眺めている人物が描かれると、中国ではみな自然と周敦頤の姿を想像するようになったのです。あともう一人、陶淵明の名前が出てきましたね。周敦頤が蓮を愛したように、陶淵明も菊を愛したことで知られています。中国の絵画で菊を眺めて喜んでいる人を見つけたら、陶淵明がイメージされている可能性が高いですよ。