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斉白石筆 宋法山水図 近代 中華民国11年(1922)(さいはくせきひつ そうほうさんすいず)

 この作品は、中国近代絵画(ちゅうごくきんだいかいが)の巨匠(きょしょう)、斉白石(さいはくせき:名は<こう☆王+黄☆>、白石の号(ごう)で知られる。1862~1957)の珍(めず)らしく大きな山水画(さんすいが)です

  • 宋法山水図 斉白石筆
    宋法山水図 斉白石筆
    近代 中華民国11年
    <京都国立博物館蔵>

 高くそびえた峰(みね)が幾重(いくえ)にも連(つら)なり、そのごつごつとした岩肌(いわはだ)を縫(ぬ)うように雲が漂(ただよ)い、滝水(たきみず)が落ちて谷を作り、楊(やなぎ)の木が生(お)い茂(しげ)る洲浜(すはま)に流(なが)れ下(お)りてきます。墨(すみ)のみを用い、単純(たんじゅん)な描線(びょうせん)を重ねているだけなのですが、この絵からは、実際(じっさい)にあるどのような景観(けいかん)にも増(ま)して、大自然(だいしぜん)の堂々(どうどう)とした迫力(はくりょく)が伝(つた)わってきます。

 斉白石がこの絵を描(えが)いたのは、人生の大きな節目(ふしめ)となる60歳を迎(むか)えた年です。大器晩成型(たいきばんせいがた)の天才(てんさい)である彼は、湖南省(こなんしょう)のいなかから大都会(だいとかい)の北京(ぺきん)にやってきて数年たったこの頃になって、ようやく世間(せけん)に名が知られ、さらにこの年、友人の紹介(しょうかい)で日本の展覧会(てんらんかい)に出陳(しゅっちん)した作品が評判(ひょうばん)を得て、絵が高く売れるようになり、生活が安定(あんてい)して、斬新(ざんしん)な作風(さくふう)の絵を意欲的(いよくてき)に創造(そうぞう)し始(はじ)めます。

 それでも、これ以降(いこう)もなお白石の山水画は、中国ではそれほど評判にならず、むしろけなす人のほうが多かったようです。この絵と同じような方解石(ほうかいせき)の形(かたち)に似た岩山(いわやま)を並べた「桂林山図(けいりんさんず)」(北京 故宮博物院蔵(こきゅうはくぶついんぞう))は、二年後の中華民国(ちゅうかみんこく)13年(1924)に描かれていますが、その絵の上に、白石は次のような詩(し)を添(そ)えています。

人に逢(あ)いて聴(き)くを恥(は)ず、荊(けい)・関(かん)を説(と)くを。
宗派(しゅうは)、能(のう)を誇(ほこ)るは却(かえ)って汗顔(かんがん)。
自(みずか)ら心胸(しんきょう)の天下(てんか)に甲(こう)たる有り。
老夫(ろうふ)は看熟(みなれ)し桂林の山。
他人(たにん)がやれ荊浩(けいこう:五代(ごだい)の山水画家)だ、やれ関同(かんどう:荊浩に学んだ画家)だといっているのを聞くと恥(はず)かしくなる。絵の流派(りゅうは)を誇って自らの才能(さいのう)を自慢(じまん)しているのを見ると恥ずかしくて汗(あせ)が吹(ふ)き出(だ)してくる。自分はこうした連中(れんちゅう)と違(ちが)って、胸(むね)の内(うち)に、天下一の高い境地(きょうち)を備(そな)えているのだ。年をとり、天下の奇観(きかん)として名高(なだか)い桂林の山も存分(ぞんぶん)に見尽(みつ)くしているのだから。

 当時の中国で描かれていた伝統的(でんとうてき)な山水画は、眼の前の風景を写実的(しゃじつてき)に写(うつ)し取(と)るのではなく、画家の胸中(きょうちゅう)、すなわち心の中に理想(りそう)とする山水を思(おも)い浮(う)かべ、それを写し出すことが基本(きほん)とされていました。また、描き手の気持ちが尊重(そんちょう)されるため、学問(がくもん)をおさめて詩文(しぶん)などにすぐれ、高い教養(きょうよう)を備えた人物のみが、気高い境地の山水画を描き出せるとも考えられていました。従(したが)って、世間一般(せけんいっぱん)の人は、絵を評価するのに、絵の善し悪し(よしあし)に関係なく、描き手の出自(しゅつじ)、身分(みぶん)によって判断(はんだん)するのがしばしばでした。いなかの貧(まず)しい農家(のうか)の出身(しゅっしん)で、画家になる前は、大工(だいく)などをしていた白石の絵は、身分や教養(きょうよう)を自慢にする人たちからずいぶん差別的(さべつてき)に扱(あつか)われていました。

 こうした人たちは、自身は絵の才能がからっきしなくて、古い絵や作画(さくが)の教本(きょうほん)などを頼(たよ)りに、他人のものまねに終始(しゅうし)し、個性(こせい)や創造性の全くない山水画しか描けないくせに、白石の奇抜(きばつ)な山水画を古代(こだい)の大画家の作風と比較(ひかく)して、いろいろおかしいところがあると批判(ひはん)するのです。

 白石はこうした俗人(ぞくじん)の批判にもめげず、寸暇(すんか)を惜(お)しんで詩文の教養を学び、画譜(がふ)や古画(こが)を模写(もしゃ)し、桂林をはじめとする中国各地の名山(めいざん)を遊歴(ゆうれき)して、非常に個性的な山水を創造し、ついに俗人たちを逆(ぎゃく)に痛烈(つうれつ)に批判しかえす境地にまで達(たっ)するのです。

 山水画に限らず、白石の絵のよさは、伝統にしばられず、個性を存分(ぞんぶん)に発揮(はっき)した天真爛漫(てんしんらんまん)さにあります。この宋法山水図(そうほうさんすいず)も細部(さいぶ)をよく見ると、例えば縞模様(しまもよう)のかすりを付8つ)けた楊の林など、細部に独特(どくとく)の工夫(くふう)があります。ところが、離(はな)れてみると、絵全体が子供が描いたような無邪気(むじゃき)な印象(いんしょう)に包(つつ)みこまれて、そうした工夫を全く感じさせません。白石の山水画を代表する傑作(けっさく)といえます。

  • 宋法山水図(部分)
    宋法山水図(部分) 斉白石筆
    近代 中華民国11年
    <京都国立博物館蔵>

美術室 西上
2000年9月9日

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