博物館ディクショナリー

法華経普門品(装飾経)一巻〈重要文化財〉(ほけきょうふもんぼん(そうしょくきょう)いっかん)

 最初にきれいな絵があり、色変わりの色紙(しきし)にお経(きょう)が書き写(うつ)されています。このお経の正しい名は、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼん)」といい、観音(かんのん)さまの徳(とく)とご利益(りやく)が説(と)かれています。書き写された時期は、平安(へいあん)時代後期の十二世紀ですから、今から八百年以上も前のことです。

  • 法華経普門品(装飾経)一巻
    法華経普門品(装飾経)一巻
    重要文化財
    法華経普門品(装飾経)一巻
    <京都国立博物館蔵>

 そのお経の最初の部分には、山際(やまぎわ)を昇(のぼ)りゆく朝日が幾重(いくえ)にも重なる山並みと木々、さらには清らかで涼しげな蓮池(れんち)を照らしているところが描(えが)かれています。その絵は、表紙の裏側にあたる部分—見返(みかえ)しといいます—に描かれていますが、その見返しに描かれた絵(見返し絵)をよく見ると、その中に漢字が書かれていませんか?

 少し読みにくくなっていますが、見返し絵には无(む)・垢(く)・清(しょう)・浄(じょう)・光(こう)・恵(え)・日(にち)・破(は)・諸(しょ)・暗(あん)・普(ふ)・明(みょう)・照(しょう)・世(せ)・間(けん)の十五文字が絵の中に溶け込(とけこ)むように書かれています。このような書き方を「葦手書(あしでがき)」といい、もともと水辺(みずべ)の葦(あし)や水鳥などに文字が溶け込み隠(かく)れるように書いたものです。平安時代の貴族(きぞく)の遊びと飾りを兼(か)ねた書き方なのです。

 ここに書かれているそれらの文字は、お経の中に説かれている文句です。お経の本文は、十枚の色紙を貼り継(はりつ)いで書き写されていますが、その第九紙目の十行目を見て下さい。「無垢清浄光 慧日破諸暗 能伏<☆うかんむり+火☆>風火(のうふくさいふうか) 普明照世間」の行です。この中で一字目の「無」の略字が「无」、「慧(え)」と「恵」は同じ意味、うかんむりに火のような字は「災(わざわい)」の別体字(べったいじ)です。その読みと意味は、おおよそ次のようなものです。

[訓読(くんどく)]
「無垢清浄(むくしょうじょう)の光なる慧日(えにち)は諸(もろもろ)の暗(やみ)を破(は)し、能(よ)く災(わざわい)の風火を伏(ふく)して普(あまね)く明らかに世間を照らす」

[意味]
「観音さまの汚(けが)れなき太陽のような智慧(ちえ)の光は、あらゆる暗闇(くらやみ)を破(やぶ)り、災いとなる風や火をよく抑(おさ)えて、広く明らかに世の中を照らします」

 このようなお経の意味を絵画化したのがこの見返し絵なのです。お経の意味を絵画化したものを「経意絵(きょういえ)」と呼んでいます。

  • 法華経普門品(装飾経)一巻
    重要文化財
    法華経普門品(装飾経)一巻
    <京都国立博物館蔵>

 ところで、三句目の「能代災風火」の文字だけが書き込まれていません。どうしてでしょうか?おそらく、見返しに描かれた穏(おだ)やかな風景こそが「能く災いの風火を伏す」という一句を詠(よ)み込んだものに違いないと思われます。このようにわかって見返し絵を見るとまた見え方が違ってきませんか。

 さて次にお経の本文は、白、打曇(うちぐも)、紫、縹(はなだ:うすい藍(あい)色)、薄朽葉(うすくちば:赤みを帯びた黄色)の五種の色変わりの色紙を継いでお経が書き写されています。この中で打曇紙というのは、上下に藍色で雲を描くように染めた紙のことをいいます。使われている紙(料紙(りょうし))は、順に白、白、打曇、紫、縹、白、薄朽葉、白、打曇、紫の十枚の色紙です。それらの料紙の表面には金銀の小さな箔(はく)が散らされ、引かれている界線(かいせん:罫線(けいせん)のこと)には銀泥(でい)が使われています。

 お経の文字は、第一紙目と第二紙目以下では書いた人が違います。おそらく第一紙目は位(くらい)の高い人に特別に頼んで書き写してもらったか、あるいはこのお経の制作を依頼(いらい)した人物、つまり仏さまとご縁(えん)を結ぶといいますが、結縁(けちえん)した人自身が書き写したものかも知れません。

 お経の後にある五行の墨書(すみが)きは、昔の人の筆跡(ひっせき)を鑑定(かんてい)することを家業(かぎょう)としていた古筆了音(こひつりょうおん)という人が江戸(えど)時代の享保(きょうほ)八年(1723)に書いたものです。それによれば、このお経を書き写したのは平安時代中期の書家として名高い藤原行成(ふじわらのゆきなり:972〜1027)であるといっていますが、残念ながら伝承(でんしょう)にすぎません。

 このお経は以前より縦折(たてお)れなどがきつく、とても展示できるような状態ではありませんでした。このたび、まる二年にわたる修理が終わり、このような美しい姿に蘇(よみがえ)りましたが、紐(ひも)や軸木(じくぎ)、その軸木の両端に付けられた水晶(すいしょう)とその座金(ざがね)などは今回新しく作られたものです。

美術室 赤尾
1999年12月11日

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