博物館ディクショナリー

天目茶碗(てんもくちゃわん)

 現在では、茶碗(ちゃわん)といえば普通はご飯(ライス)を盛る容器を指すことが一般的になっています。しかし、もともと茶碗とは字のとおり、お茶を飲むための容器(碗)のことを指す言葉だったようです。

  • 河南(かなん)天目碗
    河南(かなん)天目碗
    河南(かなん)天目碗
    高5.2cm 口径13.8cm 高台径3.3cm
    中国 南宋時代(12-13世紀)
    <京都国立博物館蔵>

 お茶を飲む習慣(しゅうかん)がいつごろ日本に伝わってきたのかについては、必らずしもはっきりと判っているわけではありません。しかし、『日本後紀(にほんこうき)』という本には永忠(えいちゅう)というお坊さんが嵯峨天皇(さがてんのう、在位809~823年)のためにお茶をいれたという記録がありますから、平安(へいあん)時代のはじめ頃には既(すで)に伝わっていたことがほぼ確実です。ただし、お茶を飲む習慣はすぐに日本中に広まったわけではなく、最初のころはお茶を飲むことができたのは、天皇や貴族、一部のお坊さんなど限られた人だけだったようです。

  • 河南(かなん)天目碗
    河南(かなん)天目碗
    高5.2cm 口径13.8cm 高台径3.3cm
    中国 南宋時代(12-13世紀)
    <京都国立博物館蔵>

 しかし中世(鎌倉〈かまくら〉・室町〈むろまち〉時代)になると、お茶を飲む習慣がだんだんと広まってゆくようになります。そしてこの時代、お茶を飲むための容器(碗)として使われたのが、中国から輸入された天目茶碗でした。天目茶碗とは日本での呼び名で、中国浙江省(せっこうしょう)にある天目山の寺院で使われていた黒いうわぐすりのかかった茶碗を日本人のお坊さんが持ち帰ったため、そう呼ばれるようになったといわれています。

  • 玳玻(たいひ)天目碗
    玳玻(たいひ)天目碗
    中国・吉州窯
    高5.1cm 口径15.3cm 高台径3.5cm
    中国 南宋時代(12世紀)
    <京都国立博物館蔵>

ここの天目茶碗を見てみると、一口に天目茶碗といっても、さまざまな色や形のものがあることが判ります。口が開くものとすぼまりぎみのもの、真っ直ぐなものと丸みを帯びているもの、真っ黒なものと絵のあるもの……などなど。中世には、こうした色々な種類の天目茶碗が中国で作られ、日本へ輸入されていたのでした。

  • 禾目(のぎめ)天目碗
    禾目(のぎめ)天目碗
    禾目(のぎめ)天目碗
     中国・建窯
    高6.5cm 口径13.7cm 高台径4.5cm
    中国 南宋時代(12-13世紀)
    <京都国立博物館蔵>

 しかし、鎌倉時代も終わりころになると、お茶を飲む習慣が広まり天目茶碗を欲しがる人が増えたのでしょうか、中国から輸入するだけでなく、日本でも天目茶碗がマネして作られるようになります。といっても、日本中で天目茶碗が作られていたわけではありません。当時、日本でうわぐすりをかけた焼ものを作っていたのは瀬戸窯(せとよう、今の愛知県瀬戸市周辺)だけでしたから、当然黒いうわぐすりをかけた天目茶碗も瀬戸窯でしか作られていませんでした。

 さて、瀬戸窯の天目茶碗はたいへんうまく中国の天目茶碗に似せて作られています。しかし、日本製の天目茶碗にはいくつかの特徴があります。中国の天目茶碗にはさまざまな形のものがありますが、日本では口がすぼまりぎみになる形のものが特に好まれていたようで、瀬戸で作られていたのはこの形のものがほとんどでした。また、中国の代表的な天目茶碗の生産地である建窯(けんよう、福建省〈ふくけんしょう〉)のものと日本の瀬戸窯のものを較(くら)べてみると、うわぐすりがかかっていない部分(台の周辺)の色がずいぶんと違っています。これは原料の土の中に含まれている鉄の成分の量の差によるもので、瀬戸の粘土は鉄分が少ないために白くなってしまうのです。このため、瀬戸窯で作られた天目茶碗の中には、この部分に鬼板という鉄分を多く含む鉱物を粉末にしたものを塗り付け、焼くと黒くなるようにして、より中国の天目茶碗に似るようにしたものもあります。当時の日本人は、そこまでするほど中国の天目茶碗に憧れていたのでしょうか。

  • 禾目(のぎめ)天目碗
    禾目(のぎめ)天目碗
    中国・建窯
    中国 南宋時代(12-13世紀)
    <京都国立博物館蔵>

 現在では、日本の工業製品も優秀なものが増え、一概に国産品は安物で輸入品は高価と言えないものが多くなっていますが、自動車の場合ロールスロイスやメルセデスベンツなど外車=高級というイメージが根強いようです。もしかすると、中世の日本人にとって、中国製の天目茶碗というのはベンツを一台持っているというような気分のものだったのかもしれません。

工芸室 尾野
1996年6月8日

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