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安寿(あんじゅ)と厨子王(ずしおう)—山椒大夫(さんしょうだゆう)のおはなし—
美術室 福士雄也
2026年07月14日
みなさんは、『山椒大夫』というお話を知っていますか? 悪い人買いにだまされ、母と生き分かれた姉弟の、苦難(くなん)の物語です。
筑紫国(つくしのくに)(いまの福岡県)に行ったきり帰らない父を訪(たず)ねて、岩代国(いわしろのくに)(いまの福島県)を出た親子は、途中(とちゅう)の直江津(なおえつ)(いまの新潟県)で人買いの手にかかり、母は佐渡(さど)へ、姉弟は丹後国(たんごのくに)(いまの京都府)へ奴隷(どれい)として売られてしまいます。
姉の名は安寿、弟は厨子王といいました。二人は、山椒大夫という長者のもとで奴隷として働かされることになります。来る日も来る日も、安寿は浜へ出て潮汲(しおく)み(塩を作るために海水を汲む仕事)を、厨子王は山に入って柴刈(しばか)り(薪(たきぎ)にするため木の枝などを刈り取ったりする仕事)をして暮らしていました。
そんなある日、二人で一緒(いっしょ)に柴刈りに出ることを願い出た安寿の手引きによって、厨子王は山椒大夫のもとを逃れることに成功します。
お守りとしていた地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の助けもあって、京都にのぼった厨子王はやがて正道(まさみち)と名乗り、丹後国を治める国守(こくしゅ)に任じられます。果たして、正道(厨子王)は父や母と再会することができるのでしょうか。そして、安寿の運命は?
この『山椒大夫』の物語は、『舞姫(まいひめ)』などの作者としても知られる森鴎外(もりおうがい)(1862~1922)が、大正4年(1915)に発表したものです。作家としてだけでなく、陸軍の医師としても有名だった鴎外は、のちに帝室博物館総長(ていしつはくぶつかんそうちょう)(現在の東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館をまとめる役職)をつとめた人物でもあります。
鴎外の『山椒大夫』には、もとになったお話があります。古くから語り継がれてきた「さんせう太夫」(「山荘太夫(さんしょうだゆう)」などとも表記します)というお話で、歌舞伎(かぶき)などでも演じられ、浮世絵に描(えが)かれたりもしました。両者はよく似たお話ですが、色々と違う点もあります。興味のある人は、岩崎武夫『さんせう太夫考—中世の説教語り—』(平凡社(へいぼんしゃ)、1994年)などを読んでみてください。
『山椒大夫』は、戦前から学校の教科書に取り上げられ、戦後には映画化(溝口健二監督(みぞぐちけんじかんとく))もされるなど、たいへん広く普及(ふきゅう)しました。堀井香坡(ほりいこうは)(1897~1990)が「対王丸(ずしおうまる)」(図1)を描いたのも、鴎外の小説に影響(えいきょう)されてのことでしょう(対王丸というのは厨子王のことです)。
図1 対王丸 堀井香坡筆 昭和5年(1930)
京都国立博物館蔵(白寿斎コレクション)
『棒(ぼう)を手にたたずむその姿(すがた)は、裸足(はだし)ではあるものの、小綺麗(こぎれい)な着物を身に付けていて、とても奴隷には見えません。ですが、足元に籠(かご)が置かれているので、やはり山椒大夫のもとで柴刈りをしている姿だとわかります。籠に入っているのは、ツツジの花。頭上に枝を伸(の)ばす藤(ふじ)の花も、季節が春であることを告げています。たぶん、安寿に説得されて脱出(だっしゅつ)を決意した場面なのでしょう。
厨子王の脱出場面は、「さんせう太夫」では1月、『山椒大夫』では3~4月頃(スミレの咲く頃)となっているので、やはり『山椒大夫』にもとづく描写(びょうしゃ)だということがわかります。
こんなふうに絵を見ていると、そのもとになった『山椒大夫』も読んでみたくなりませんか? 博物館に展示(てんじ)されている作品は、まだ知らない世界へとみなさんをいざなう、扉(とびら)のような存在(そんざい)でもあるのです。
今回紹介した作品の著作権に関しては、著作権継承者の連絡先が不明のため手続きがとれておりません。著作権及び著作権継承者 に関する情報は、京都国立博物館 TEL: 075-525-2473(テレホンサービス)までご連絡くださいますようお願いいたします。
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