2026.3.01の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
2026.3.02は休館日です。カレンダー展示の詳細を表示する
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
2026.3.03の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
2026.3.04の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
2026.3.05の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
2026.3.06の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
2026.3.07の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
2026.3.08の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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2026.3.10の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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2026.3.11の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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2026.3.12の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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2026.3.13の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
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2026.3.14の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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2026.3.15の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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2026.3.16は休館日です。カレンダー展示の詳細を表示する
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
2026.3.17の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
2026.3.18の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
2026.3.19の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
2026.3.20の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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2026.3.21の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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2026.3.22の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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2026.3.23は休館日です。カレンダー展示の詳細を表示する
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
- 展示室・展示テーマ
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 - 3F-1 - 閉室中 
 - 3F-2 - 閉室中 
 
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 - 2F-2 - 閉室中 
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 - 2F-4 - 閉室中 
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 - 1F
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 - 1F-2 - 閉室中 
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2026.3.24の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
- 展示室・展示テーマ
- 3F
 - 3F-1 - 閉室中 
 - 3F-2 - 閉室中 
 
 - 2F
 - 2F-1 - 閉室中 
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 - 1F-2 - 閉室中 
 - 1F-3 - 閉室中 
 - 1F-4 - 閉室中 
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2026.3.25の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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- 展示室・展示テーマ
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 - 3F-1 - 閉室中 
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2026.3.26の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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 - 2F-2 - 閉室中 
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 - 1F-2 - 閉室中 
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2026.3.27の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
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- 展示室・展示テーマ
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2026.3.28の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
- 展示室・展示テーマ
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 - 3F-1 - 閉室中 
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 - 2F-2 - 閉室中 
 - 2F-3 - 閉室中 
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 - 1F-2 - 閉室中 
 - 1F-3 - 閉室中 
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2026.3.29の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
- 展示室・展示テーマ
- 3F
 - 3F-1 - 閉室中 
 - 3F-2 - 閉室中 
 
 - 2F
 - 2F-1 - 閉室中 
 - 2F-2 - 閉室中 
 - 2F-3 - 閉室中 
 - 2F-4 - 閉室中 
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 - 1F
 - 1F-1 - 閉室中 
 - 1F-2 - 閉室中 
 - 1F-3 - 閉室中 
 - 1F-4 - 閉室中 
 - 1F-5 - 閉室中 
 - 1F-6 - 閉室中 
 
 
2026.3.30は休館日です。カレンダー展示の詳細を表示する
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
- 展示室・展示テーマ
- 3F
 - 3F-1 - 閉室中 
 - 3F-2 - 閉室中 
 
 - 2F
 - 2F-1 - 閉室中 
 - 2F-2 - 閉室中 
 - 2F-3 - 閉室中 
 - 2F-4 - 閉室中 
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 - 1F
 - 1F-1 - 閉室中 
 - 1F-2 - 閉室中 
 - 1F-3 - 閉室中 
 - 1F-4 - 閉室中 
 - 1F-5 - 閉室中 
 - 1F-6 - 閉室中 
 
 
2026.3.31の展示
3月の展示
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日):名品ギャラリー(平常展示)開催
2026年3月24日(火)~ 4月16日(木):庭園のみ開館
展示室内はご覧いただけません。庭園および屋外展示のみご覧いただけます。
- 展示室・展示テーマ
- 3F
 - 3F-1 - 閉室中 
 - 3F-2 - 閉室中 
 
 - 2F
 - 2F-1 - 閉室中 
 - 2F-2 - 閉室中 
 - 2F-3 - 閉室中 
 - 2F-4 - 閉室中 
 - 2F-5 - 閉室中 
 
 - 1F
 - 1F-1 - 閉室中 
 - 1F-2 - 閉室中 
 - 1F-3 - 閉室中 
 - 1F-4 - 閉室中 
 - 1F-5 - 閉室中 
 - 1F-6 - 閉室中 
 
 
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
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- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
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- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
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- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
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- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
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- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
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- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
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- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
明末清初の五彩磁器
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
明時代末から清時代の初め、16世紀末から17世紀にかけての時期は、欧州文化の世界的な広がりによって東洋と西洋との交流が行われ、大きな変革期となった時代です。日本でも幅広い分野に影響を与え、江戸時代の日本文化を発展させる契機となりました。陶磁器についても伊万里の色絵磁器や京焼の色絵陶器などをはじめ、その影響を受けたものが数多くつくりだされています。
ここでは日本のやきものに大きな影響を与えたものの中で、色絵祥瑞(いろえしょんずい)、南京赤絵(なんきんあかえ)、康煕五彩(こうきごさい)と呼ばれ、日本の色絵磁器の成立と発展に影響を与えた五彩磁器を紹介します。
 
五彩桃松鹿文輪花皿 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯 当館
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 五彩桃松鹿文輪花皿 
 大明嘉靖年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩兎鶴捻文輪花皿 
 大明成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩牡丹花卉魚文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩家鶏文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩双魚捻花文輪花皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩羅漢双鶴文皿 
 天下太平銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩飛馬文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩仙人文獅子香炉 
 成化年製銘 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 
 (藤原忠一郎氏寄贈)五彩花卉文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花卉雀文皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩柳梅燕文八角皿 
 景徳鎮窯1枚 京都国立博物館 五彩花鳥文蓋壺 
 景徳鎮窯1合 京都国立博物館 
日本と東洋のやきもの
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
陶磁|3F-1展示室
やきものは鑑賞するだけでなく、食器や日常の調度品などに多く用いられており、私たちにとって身近な工芸品といえます。特に東アジア各地では、文様や形、色に至るまで多種多様なものが作られ、その用途も幅広いものです。また、やきものは産地により、磁器や陶器といった材質や、土や釉薬の原料、装飾や焼成の技術に強い個性を持っています。 日本と中国、朝鮮半島を中心に、東アジア地域でつくられたやきものの個性やその魅力について紹介します。
 
色絵釘隠 伝野々村仁清作 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 色絵若松図茶壺 
 野々村仁清作1口 文化庁 重文 色絵釘隠 
 伝野々村仁清作21個 京都国立博物館 三彩婦女俑 1躯 京都国立博物館 
 (佐佐木茂索氏収集、佐佐木泰子氏寄贈)緑釉鴨池 1口 京都国立博物館 加彩文官俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩武人俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)加彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (松井宏次氏寄贈)褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 褐釉男子立俑 1躯 京都国立博物館 三彩馬俑 1躯 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)三彩明器 伝洛陽北邙山出土 
 三彩文官 1対
 三彩神王 1対
 三彩魌頭 1対
 三彩馬俑 1対
 三彩胡人 1躯
 三彩駱駝俑 1対1括11躯 京都国立博物館 重文 青磁水注 
 越州窯1口 京都国立博物館 青磁多嘴瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (矢原郁子氏寄贈)黄釉刻花牡丹文瓶 
 乾瓦窯1口 京都国立博物館 白釉刻花牡丹唐草文枕 
 磁州窯系1口 白地線彫牡丹文洗 
 磁州窯1口 京都国立博物館 白地黒花牡丹文瓶 
 磁州窯系1口 京都国立博物館 
 (錢高久吉氏寄贈)青磁刻花牡丹唐草文象耳花瓶 
 龍泉窯1口 京都国立博物館 
 (柳孝氏寄贈)青花三国志文壺 1口 京都国立博物館 青花回教文字文筆筒 
 景徳鎮窯1口 京都国立博物館 粉青沙器掻落蓮池文扁壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花丸に梅枝文壺 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)青花草花文四方瓶 1口 京都国立博物館 
 (笹川正誠氏寄贈)重文 銹絵寒山拾得図角皿 
 尾形光琳画 尾形乾山作1対 京都国立博物館 御本立鶴文水指 1口 京都・久昌院 御本写立鶴文茶碗 
 初代清水六兵衛作1口 御本写立鶴文茶碗 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作1口 京都・正伝永源院 重美 赤絵十二支四神鏡文皿 
 奥田頴川作1枚 京都・大統院 色絵花卉南天図手焙 
 仁阿弥道八(二代高橋道八)作 谷文晁ほか画1口 京都・両足院 
京都北部の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
丹後地域と丹波地域の一部から成る京都北部は、日本海と山に囲まれ、古くから国内外との交流が盛んでした。縄文時代前期後半には丸木舟で外海を往来していたことが発掘調査からわかっています。弥生時代や古墳時代には大型の墳墓が造られ、その特色ある様相は丹後王国とも称されるゆえんとなりました。平安時代以降は都との密接なつながりを持ちつつ、独自の美術や信仰を育んでいたことが、経塚出土遺物などからもわかります。本展示では縄文時代から中世までの考古資料を通して、京都北部の豊かな文化の一端をご紹介します。
日本の考古資料
2025年12月16日(火)~2026年3月15日(日)
考古|3F-2展示室
日本の歴史をさまざまな考古資料からご紹介します。考古資料の多くは遺跡から出土したものです。祀りや儀式などに使う特別な道具もあれば、当時の人々が日常的に使っていた品々もあります。考古の展示を通して、その時代を生きた人々の暮らしや想いを身近に感じていただければと思います。
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
- 
指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
同時開催の名品ギャラリー特別展観覧料が必要
時宗の祖師絵伝
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
絵巻|2F-1展示室
踊り念仏で知られる時宗。その開祖・一遍(いっぺん、1239~89)の伝記を表した絵巻は、全12巻の国宝「一遍聖絵」がよく知られています。しかし、中近世の時宗寺院においてより広く流布したのは、異なる系統の「遊行上人縁起絵」という全10巻の絵巻でした。宗俊という僧が撰述したとされるこの絵巻は、一遍だけでなく、後半に二祖・他阿(たあ、1237~1319)の行状を収める点が大きな特徴です。祖本は散逸しましたが、多くの写本が残されています。今回はその代表的な作品や関連する時宗祖師の絵伝をご紹介します。
法華経と釈迦の美術
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
仏画|2F-2展示室
『法華経』は、釈迦によって説かれたとされますが、実際には没後の大乗(だいじょう)仏教運動の中で整理されたものです。初期の部派仏教は自身の悟りを希求する要素が強かったのですが、大乗仏教はそれを批判し、万人救済も積極的に推し進めようとしました。『法華経』は万人に仏性が宿っており救われると説きますが、これは当時としては革新的に過ぎ、経の中でも「信じられずにこの経の悪口を言う者もあろうが、これが真実だ」と繰り返し述べています。この大乗仏教の精髄というべき『法華経』は日本で親しまれ、万人救済を図ろうとする鎌倉新仏教を生み出す精神的母胎ともなりました。そのため、これにまつわる仏画が多数残されており、日本美術に大きな存在感を示しています。
禅寺の障壁画―旧大徳寺養徳院Ⅱ
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
中世絵画|2F-3展示室
京都国立博物館が所蔵する「山水図襖・「琴棋書画図襖」・「芦雁図襖」は、かつて京都、大徳寺の塔頭である養徳院の本堂(方丈)を飾っていた障壁画群です。その多くは延徳2年(1490)頃、室町幕府の御用絵師の流れをくむ宗継(そうけい、俗姓は小栗)らによって描かれました。中・近世における養徳院の移転や建物の大改造、近代初頭の襖の流出に伴って、これらの絵は何度も大がかりな改変と加筆を受けました。そのため制作当初の全貌を知るのは非常に困難ですが、いずれも現存する日本最古の水墨の障壁画として、美術史上に名高い作品群です。当館では2020~24年度にかけて、これらの襖の解体修理を行いました。今回が修理後、初のお披露目になります。
京都の狩野派―狩野永納・永敬
2026年2月3日(火)~ 3月22日(日)
近世絵画|2F-4展示室
江戸時代、幕府御用絵師となった狩野探幽(たんゆう)を筆頭とする一門は江戸狩野と呼ばれ、幕末にいたるまで画壇の中心的存在として活躍しました。これに対し、幕府に仕えることなく京都に留まり、活動を続けた狩野派画家の系統を京狩野といいます。
その京狩野の3代目にあたるのが永納(えいのう、1631~97)です。父山雪(さんせつ)の学究肌を受け継ぎ、その遺稿をもとに日本初の体系的な美術史の著作となる『本朝画史(ほんちょうがし)』を刊行したことでも知られています。江戸狩野の様式を取り入れた穏健な画風が持ち味ですが、4代目を継いだ長男永敬(えいけい、1662~1702)は、時に力強い線描を駆使した個性的な表現を見せ、のちの曾我蕭白(そがしょうはく、1730~81)へも影響を与えたようです。
清時代の銅版画―乾隆帝と得勝図
2026年2月3日(火)~3月22日(日)
中国絵画|2F-5展示室
清の第六代皇帝である乾隆帝(かんりゅうてい、在位1735~96)は、祖父の康熙帝(こうきてい)・父の雍正帝(ようせいてい)の治世に築かれた基盤の上で、清朝の最盛期を実現しました。領土拡張のため、10回及ぶ中央アジアへの遠征をしており、そのすべてに勝利して最大領土を治めたことから「十全武功(じゅうぜんぶこう)」と称えられています。乾隆帝はこの功績を自ら記念し、清の宮廷に出仕していたイタリア人のカスティリオーネ(郎世寧、ろうせいねい、1688~1766)ら西洋人画家に、戦勝の情景である「得勝図」を描かせ、フランスに送って銅版画を作成させました。この銅版画にはフランスで刷られた洋紙のものと、中国で刷られた宣紙のものがあり、本展ではその両方をあわせてご紹介します。
平安時代の仏像
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
平安時代は日本の彫刻史のなかでも、もっとも変化に富んだ時代でした。最澄や空海らによって中国から密教がもたらされた9世紀の仏像と、穏やかな姿が好まれた12世紀の仏像とは印象がまったく異なります。
平安時代の中頃までは、寺院は一部をのぞいてみやこの周辺に置かれました。平安後期にかけて徐々に京内に寺院が造られ、たくさんの仏像が造られました。残念ながら戦乱や天災などで失われてしまったものもありますが、各時代の人びとに守り伝えられ、今もなお多くの仏像が伝えられています。平安時代に思いを馳せながら、じっくりとご覧ください。
 
重文 千手観音立像 京都・禅海寺
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 国宝 五智如来坐像 5躯 京都・安祥寺 蟠龍石柱 1基 京都・安祥寺 梵天・帝釈天立像 2躯 京都・元慶寺 大日如来坐像 1躯 京都・清水寺 重文 千手観音立像 1躯 京都・禅海寺 
神像と師子・狛犬
2025年12月16日(火)~2026年3月22日(日)
彫刻|1F-1展示室
日本の神は元来目に見えない存在でしたが、仏教の影響を受けて神像が造られるようになります。神像は閉ざされた社のなかでまつられるためか小型のものが多く、男神・女神の区別がつけられており、貴族や僧の服装、武装など、人間に近い姿をしています。
師子・狛犬は社殿の前で神を守る役割を担っています。角がなく開口するのが師子、角をもち閉口するのが狛犬で一対になっています。一方で、仏教では仏の説法を百獣の王・獅子が吠えることにたとえ、その象徴として仏前に一対の師子を置く伝統があります。中国で造られた石造と、日本で造られた木造の作品を紹介します。
 
伝猿田比古神立像 当館
- 展示作品リスト
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指定 作品名 員数 所蔵 音声ガイド 重文 神像 
 その47、その41・603躯 大阪・泉穴師神社 男神坐像 1躯 京都・薭田野神社 僧形神坐像 1躯 大阪・金剛寺 僧形神坐像 1軀 伝宇賀御魂神立像 
 伝猿田比古神立像2躯 京都国立博物館 重文 石造狛犬 1対 京都・由岐神社 石造師子 1躯 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・御上神社 師子・狛犬 1対 重文 師子・狛犬 1対 滋賀・大宝神社 
書籍
2026年2月25日(水)~3月22日(日)
書跡|1F-3展示室
準備中
カジュアル&デラックス—高台寺蒔絵
2026年2月4日(水)~3月22日(日)
漆工|1F-6展示室
蒔絵は、漆の接着力で金属粉を蒔きつけ、絵を表す技法です。漆は貴重で、さらに金銀などを惜しみなく用い、手間もかかるため、かつては神仏への捧げ物や貴族の生活を彩るものでした。豊臣秀吉の天下統一後、職人が増え、多くの蒔絵屋が登場します。城持ちとなった武将たちは蒔絵を好み、食器や文書箱から建物の部材、風呂桶までを蒔絵で飾りました。新参の職人たちも手がけた、手早く豪華に画面を覆う作風は、その漆器を多く伝える秀吉夫妻の菩提寺・高台寺にちなみ、高台寺蒔絵と呼ばれています。




