美術室 若杉
1995年12月09日
まず下の絵を見てください。春の一日、子どもたちが庭で遊び、その様子(ようす)をおとうさんとおかあさんが暖かく見守っています。真ん中の二人の子どもは何をしているかわかりますか。これは竹馬遊(たけうまあそ)びです。いま私たちは「竹馬」というと、竹の棒の適当な高さのところに足場(あしば)をゆわえつけて、これに乗って歩く遊びを思い出しますが、もともとの竹馬は、ここに描かれているように、葉の付いた竹の元の方に紐(ひも)を付け、これを手綱(たづな)のようにしてまたがり、竹を馬に見立(みた)てて走るものでした。幼なじみという意味で使われる「竹馬(ちくば)の友(とも)」という言葉は、こうして一緒に走りまわって遊んだ友達ということからできた言葉なのです。ここにはそのほかに古い草履(ぞうり)に紐を付けて犬を走らせている子どもや、犬を抱いた少女、またこのようすを木の陰から見ている子どもたちも描かれています
ところで、これは平安時代(へいあんじだい)の終わりに浄土宗(じょうどしゅう)という新しい仏教(ぶっきょう)の一派(いっぱ)を開いた法然上人(ほうねんしょうにん)の伝記を絵巻であらわした「法然上人絵伝」の一場面です。法然上人は、長承(ちょうしょう)二年(1133)に美作国(みまさかのくに=岡山県〈おかやまけん〉の北部)の地方武士の家に生まれ、おとうさんが夜襲(やしゅう)にあって亡(な)くなったあと、その遺言(ゆいごん)で出家(しゅっけ)して都に上り、比叡山(ひえいざん)で修行(しゅぎょう)しました。そして戦乱(せんらん)の続く時代の人々を救うためにはどうしたらよいかを考え、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という念仏(ねんぶつ)を唱(とな)えることによって、阿弥陀如来(あみだにょらい)に救われ、極楽(ごくらく)に生まれ変われるという浄土の教えを広めました。法然上人は、念仏の教えを嫌(きら)う人たちの圧力(あつりょく)によって、一時讃岐国(さぬきのくに=香川県〈かがわけん〉)に流されましたが、そのほかはずっと京都にいて、建暦(けんりゃく)二年(1212)に亡くなるまで、都の貴族(きぞく)や民衆に浄土の教えを広めた人です。
ここにとりあげた場面は、法然上人が、竹馬遊びをする年頃から、ときどき西の壁(かべ)に向かって念仏をしていたという逸話(いつわ)をあらわしたものです。たしかに画面の左端に壁に向かう子どもが描かれていますが、よく見るとこの部分は、最初板戸(いたど)を描いていたところを塗(ぬ)り消して、わざわざ西に向かう子どもを描き加えていることがわかります。もともとこの絵巻の画家は、この逸話を無邪気(むじゃき)に遊んでいる子どもたちの姿で描いていたのですが、後になって、法然上人が子どもの時から他の子と違っていた、すなわち西の方にある極楽浄土に憧(あこが)れていたということを強調(きょうちょう)するために、このように改めたものです。
この法然上人絵伝のように、仏教の新しい宗派(しゅうは)を開いたお坊(ぼう)さんや、徳(とく)の高いお坊さんの伝記をあらわした絵巻を「高僧伝絵(こうそうでんえ)」と呼びます。高祖伝絵は鎌倉時代(かまくらじだい)にとても多く作られました。この時代に新しく始められた宗派では、宗派を開いたお坊さん(宗祖〈しゅうそ〉)に対する信仰(しんこう)が強く、新しく信者(しんじゃ)を獲得(かくとく)するためにもそのお坊さんの伝絵を作ることが重要であったのです。特に法然上人の始めた浄土宗では伝絵を作ることに熱心で、いくつもの違った種類の法然上人絵伝があります。ここに紹介(しょうかい)したのは、そのうち知恩院(ちおんいん)に伝来(でんらい)しているもので、全部で四十八巻あり、日本の絵巻のなかで最も巻数の多い絵巻として有名なものです。この「竹馬遊び」の段のある第一巻は、両親が神仏(しんぶつ)に祈(いの)ったおかげでおかあさんが身ごもり、やがて男の子(法然上人)が誕生したこと、またおとうさんが敵の夜襲を受け、その時の傷(きず)がもとで、この男の子をお坊さんにするように遺言して亡くなったことなどが描かれています。
高僧伝絵は、宗教的な意味あいから作られたものですが、現代の私たちにとっては、絵画として楽しむことができますし、また、最初に言ったように、昔のようすを知る貴重(きちょう)な資料(しりょう)にもなっています。みなさんの社会の教科書にも、昔の暮らしを示すために、絵巻から採(と)られた様々な場面が掲載(けいさい)されているでしょう。絵巻を見るときには、絵としての美しさや物語の内容を楽しむだけでなく、そうした昔の暮らしにも目を向けてみましょう。
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