工芸室 永島 明子
2018年06月12日
はさみが入ったこのいれもの(図1)、なんだかわかりますか?いれものにはたくさんの穴(あな)があいています。はさみのほかにも、細かな道具を差(さ)しこめるようになっているんですね。蓋(ふた)と身があわさるところには、両わきに小さな輪っかがついています。この輪っかは蓋(ふた)にもついていて、ここにかつて紐(ひも)を通していました。じつはこれ、おさいほう道具を入れて腰(こし)からぶらさげて持ちはこぶためのいれもの、つまり、携帯用(けいたいよう)のおさいほう道具入れなんです。
このいれものは、400年ぐらい前の日本でつくられました。木でつくって、漆(うるし)をぬって、金粉(きんぷん)や貝をはりつけて、ちょっとユーモラスな龍(りゅう)や、虎(とら)(図2)や、お花をえがいてかざってあります。でも、こんな漆器(しっき)のおさいほう道具入れは、ほかに見あたりません。江戸時代のお嬢(じょう)さまたちも持っていませんでした。この形は、なんと、オランダのお金持ちの奥(おく)さまのためにつくられた特注品らしいのです。どういうことでしょう?
表面をかざる龍(りゅう)やお花は、蒔絵(まきえ)という技法(ぎほう)でかざられています。ウルシの樹(き)からとれるネバネバした液体(えきたい)(漆(うるし))を接着剤(せっちゃくざい)としてつかって、金をくだいた小さな粒をはりつけて、研(と)いだりみがいたりする技法(ぎほう)です。この蒔絵(まきえ)は、日本でしかつくられていませんでした。にじ色にひかる貝をはりつけるのは螺鈿(らでん)という技法(ぎほう)で、こちらはアジアのほかの国でもつくられていました。でも、蒔絵(まきえ)との組み合わせとなると、日本でしか手に入りませんでした。
400年前の日本には、ヨーロッパの商人が船に乗ってぞくぞくとやって来ていました。ヨーロッパにはニスはありましたが、ウルシはありませんでした。ニスはお湯やアルコールをかけるといたんでしまいますが、漆(うるし)ぬりのお椀(わん)は、お湯でもアルコールでも、塩でも酸(さん)でも入れられます。ヨーロッパから来たひとたちが、日本の漆器(しっき)を目にして、もっともかんげきしたのは「お湯を入れてもなんともない!」という点だったようです。そのうえ、美しい蒔絵(まきえ)でえがかれた絵はこすっても消えず、にじ色の螺鈿(らでん)といっしょにいつまでもかがやいているとあって、蒔絵(まきえ)と螺鈿(らでん)の組み合わせは大人気となりました。ヨーロッパのひとたちの求めにおうじて、京都の職人(しょくにん)さんたちは、大きなたんすやトランクなどを蒔絵(まきえ)と螺鈿(らでん)でかざり、ヨーロッパからやって来た船乗りたちに売りました。これらはアジアのほかの港を経(へ)て、ヨーロッパの王族や貴族(きぞく)、そして大金持ちの大商人たちに向けて輸出(ゆしゅつ)されていったのでした(インドやタイの王族、アメリカ大陸にくらしたヨーロッパ人たちにも大人気の商品でした)。
そんな商いをしていた船乗りたちにとって、商売をスムーズに行うために、とちゅうの港を管理している王国や、自分の国のえらいひとたちへの贈(おく)りものは欠かせないものでした。船乗りたちがつとめた会社の本社の重役の名前を、壁(かべ)にかざる大皿や楯(たて)などに蒔絵(まきえ)でかいた例もあります(ごますりですね!)。気の利いたプレゼントは、商品とは別に、特別に注文して一点だけつくられるものでした。このさいほう道具入れもそのように特別につくったものだったようです。
17世紀のオランダでは、大きな家の奥(おく)さまは、長いスカートにそって腰(こし)からくさりをたらし、その先に、邪気払(じゃきばら)いの匂(にお)い玉(だま)や家の鍵(かぎ)やさいほう道具入れをぶらさげていたそうです。当時の絵にそのようにえがかれていますし、じっさいに銀や革(かわ)でつくられたさいほう道具入れが伝わっています。しかし、蒔絵(まきえ)と螺鈿(らでん)でかざられた例は、いまのところこの作品しか知(し)られていません。世界にひとつだけの特別のさいほう道具入れ。だれが、どんな女性(じょせい)のために注文したんでしょうね。
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