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No.3

金澤 弘

 普通の人の標準に照らしてみて、どちらかといえば自分はよく旅行をする方だろうなと思う。博物館の仕事に関連して、たとえば出品交渉とか作品の借り出し、 あるいは調査研究の旅などかなり頻繁に出かけているが、知らない土地を実感し、未知の人と話し合う楽しみはあるものの、じつはこれらはそれほど楽しくない。預かり証書を持っていたり、調査の結果が気になったりして、完全に心が解放されていないからであろう。文化庁での会議のための日帰りの旅は、東京駅の通路を歩く人のスピードにいつも戸惑うこともあって、もっとも面白くない。

 4月半ばの週末にさそわれて大分へ出かけた。一番の目的は何年も前から一度はと思いながら果たせなかった、雪舟の故地、鎮田の滝と天開図画楼跡を尋ねることであった。鎮田 (沈堕) の滝は明治の終りにつくられたダムのために、景観が一変していると聞き及んでいたので、期待はなかったが、まさにその通りであった。ところがそのあと竹田への途次、一面のチューリップ畑を過ぎて草原のなかに浅い川が流れ、突然それが落下してつくる、見事に幅のある滝が目に入ってきた。原尻の滝と教えられた滝は観光地になっていて、多くの人々が水と音のある春景色を楽しんでいた。わずか十数段の石段をおりて見上げる滝は驚くほどの迫力をもって迫ってくる。脳裏に焼きついている雪舟の絵が頭をかすめた。岡城跡の下に広がる、 瀧廉太郎と軍神広瀬中佐の町の竹田が予想外に静かな昔の町であったことも旅の終りを完全なものにしてくれた。

 昨年の3月 「禅の美術」なる展覧会に随伴して、チューリッヒで無事に開館した翌日、協力して企画したブリンカー教授に誘われてフルムザーベルクという、まったく日本人の姿を見かけない山へ出かけた。頂上から滑り降りるコース途中のホテルの前庭で昼食をとりながら眺めた、白雪の上のぬけるような青い空と遥か眼下に見える湖の神秘さは、心洗われる素晴しい旅のひとこまであった。

 連休の明けた月曜日の早朝、名古屋の友人からの電話で起こされ、「妙興寺の老師がお亡くなりになりました」という言葉に、「えっ」と云ったまま絶句してしまった。ひと月ほど前、老師がとつぜん博物館に来られ、「京都へ来たついでに君の顔を見たくなってね」ということで、しばらく歓談したばかりだったので、驚きを通り越してなにも云えなくなってしまった。めずらしい大雨の夕方、尾張一の宮へ向かう旅は予想以上に真っ暗な心であった。本山の歴住に名を連ねられたお祝いの日は、絶好の秋晴れだったのになあ。職業柄これまで多くの和尚がたと知り合い、いろいろとお教えをたまわっているが、なぜか実の兄に接するように思えた老師の、精悍で、 温かい顔と若々しい声がどこからとなく現れるような気がしてならない。こんな旅はもう二度としたくない旅である。

[No.103 京都国立博物館だより7・8・9月号(1994年7月1日発行)より]

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