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No.70

特別展覧会「高僧と袈裟」に寄せて

関西大学教授

原田 正俊

 2010年秋に開催された「高僧と袈裟」展は美術史・染織史はもとより歴史学・仏教史にとってもきわめて刺激的で有意義な展覧会であった。一言で言えば「坊さんの袈裟はおもしろい」である。

 世の中で最新のファッションや制服でいえば女子高生、キャビン・アテンダントの制服に関心を持つ人は多いかもしれないが、僧侶の着る衣や袈裟に注意を払う人は少ないであろう。まして現代人にとっては正装した僧侶に出会うことは希である。袈裟とは僧侶が法会の際に一番上にまとっている豪華な装束で、右肩を出して左肩を覆っている。

 こうした袈裟は歴史学では貴重な史料ともいえる。前近代社会において衣服は身分や所属する社会集団を示す重要な指標であり、僧侶でいえば所属する宗派や僧侶の階級を示すものでもあった。宗派によって袈裟の差異があり、宗派の思想や社会的位置を表象するものでもあった。

 本展覧会で示されたように日本には南宋・元・鎌倉・室町時代の袈裟が多数伝来し、アジア諸地域においても希有のことである。これらは当時最新の技術を結集した染織品で、いうまでもなく美術史・染織史の重要な作品でもある。伝来した袈裟の多くは重宝として伝えられ、しかも無準師範や夢窓疎石など中国・日本の仏教史上、著名な僧侶たちが着用したものである。袈裟が宝物として伝えられるのは、祖師の所持品というだけでなく「伝法」の表象物の一つとして相伝されたのである。また、袈裟が相伝される過程では様々な由緒や説話が付加され、神々までかかわったりして袈裟をめぐる物語は文化史の上でもおもしろいのである。

 私は日本中世史を専門とすることから古文書・古記録のなかでみるこうした袈裟の記録を仏教史の問題としてとりあげてきた。もっとも、裁縫すらまともにできない者にとっては、現存する染織品の時代判定やまして技術史的価値は十分理解できないものであった。しかし、今回の特別展は染織史の最新の成果を結集して一つ一つの作品に考察を加え、日頃の疑問を氷解してくれるものであった。

 特に今回出品されたなかでも天龍寺所蔵の夢窓疎石関係の袈裟は印象深い。私はここ数年、天龍寺文書の読解と調査を進めているが、その過程で今回袈裟と共に出陳された「三会院法衣箱入日記」に注目していた。この文書はこれまでほとんど注意を払われたこともない史料であるが、臨川寺三会院に所蔵されている袈裟などの所在を中世から近世に至るまで点検している記録であった。これによって天龍寺創建時に夢窓が掛けた袈裟、また相伝してきた袈裟が複数、天龍寺の蔵のなかにあることを確信した。当初お寺の関係者もわからないとのことであったが、蔵の片隅で現物を確認した時は感激したものである。

 むろん、私たちに染織品の時代判定はできないので、博物館の方に見ていただき今回の展覧会を飾ることとなった。まさに古文書の世界と染織史研究があわさっての成果である。

 今後こうした方法で探究を進めていけばまだまだ新しい作品が集まる可能性もある。この展覧会により観覧者の多くが袈裟がもつ歴史・美術のおもしろさに気付かれたと思う。また、何よりも東アジアにおける文化交渉の良き題材として今後ますます袈裟は重視されるものと確信している。

[No.170 京都国立博物館だより4・5・6月号(2011年4月1日発行)より]

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