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No.77

「春」はいつから?

京都国立博物館学芸部副部長

赤尾 栄慶

 昨年、近衞家伝来の「王朝文化の華 陽明文庫名宝展 近衞家の一千年」という特別展覧会の担当をさせていただいた。陽明文庫に収蔵されている藤原北家の嫡流、近衞家伝来の至宝が一堂に会した展覧会であったが、この中で国宝「御堂関白記」を中心とする日記類や具注暦を多く見る機会を得た。ことに一千年前の道長自筆の記事などを目の当たりにできたことは、学芸員冥利に尽きるものであった。

 そんな中で、昨年の九月に「天地明察」という映画を観た。これは江戸時代中期の天文暦学者である渋川春海(しぶかわはるみ・1639—1715)の物語で、冲方丁(うぶかたとう)の小説の映画化であった。主人公の安井算哲(後の渋川春海)役がV6の岡田准一、その妻えん役を宮崎あおいが演じていた。安井家は、将軍碁所四家の一つであり、主人公は十四歳で父の跡を継ぎ、算哲と称して碁所に勤めた。儒学を山崎闇斎に、暦学を岡野井玄貞らに学んだ。当時用いられていた中国・唐時代の宣明暦(せんみょうれき)に誤差があることを幕府に進言し、元時代の授時暦(じゅじれき)に替えるように主張したが、日食の予報に失敗したため、実現しなかった。その後、春海は授時暦を日本に合うように改良し、大和暦法としてその採用を請い、その結果、ついに貞享元年(1684)十一月にその暦が採用され、翌年の貞享二年から貞享暦として施行された。重要なのは、これが日本人の手になる初めての暦だからである。元禄十五年(1702)に渋川と改姓。平成十六年(2004)に当館で開催した特別展覧会「神々の美の世界」には、渋川春海が作った大将軍八神社所蔵の天球儀を展示させて頂いた——東京の国立科学博物館には、重文に指定されている渋川春海作の地球儀と天球儀が所蔵されている——。

 その後、宝暦暦・寛政暦・天保暦を経て、明治六年(1873)に現在のグレゴリオ暦が採用された。しかし、日本の季節のめぐりと今のグレゴリオ暦では、どうもずれが大きいような気がする。年賀状に書く「迎春」の「春」は、やはり旧暦の春であろう。本年の旧暦の元旦は、二月十日(日)ということになり、旧暦の三月三十日は新暦の五月九日(木)であり、ここまでが旧暦での春となる。そうであれば、旧暦の夏が四・五・六月というのも頷ける。

 当然、古記録などの日付などを見る時には、旧暦の日時であることを念頭におかなければならないが、いずれにしても日本の美しい四季や季節感を大切に伝えたいと思うのである。

[No.177 京都国立博物館だより1・2・3月号(2013年1月1日発行)より]

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