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No.83

出版と料紙の調査

京都国立博物館上席研究員

赤尾 栄慶

 昨年度、当館は書跡部門を代表する国宝三件、すなわち、岩崎本と吉田本という通称名で呼ばれている二本の『日本書紀』と仏典である『浄名玄論』、それらの本文および紙背の注記などをすべて影印し、解題を付して原寸・原色で出版するという企画(勉誠出版)に恵まれた。

 岩崎本『日本書紀』は、平安時代十世紀の写本で、推古紀(巻第二十二)と皇極紀(巻第二十四)の二巻が伝存している。このうち推古紀(巻第二十二)は、聖徳太子の事績を含む「冠位十二階」「十七条憲法」などを記した最古の写本である。鎌倉時代十三世紀の書写である吉田本『日本書紀』は、神代巻の上下二巻からなり、吉田神道の宗家、吉田家で書写され使用されていた写本として知られている。『浄名玄論』は、中国・三論宗の教学を大成した嘉祥大師吉蔵が著した『維摩経』の綱要書であり、全体八巻のうち、巻第四と巻第六の二巻に慶雲三年(706)の書写奥書を有することで名高い写本である。この『浄名玄論』は、元号を用いて書写年代を明らかにしたわが国最古の書跡であり、国立博物館としての当館の初代館長を務めた神田喜一郎先生旧蔵品でもある。加えて、これらは、いずれも本文に付された訓点が大変重要な資料となっている書跡でもあることから、出版の意義も大きいと判断された。

 今回の出版では、出版社との仲介の労を執られ、訓点についての論考の執筆もお願いした石塚晴通北海道大学名誉教授のアドバイスもあり、最新の調査内容を盛り込むべく、敦煌本をはじめとした書跡の料紙調査に実績のある龍谷大学古典籍デジタルアーカイブ研究センターの協力を得て、料紙の表面を顕微鏡で観察することになった。五百倍で観察すると繊維の一本一本が見えてくる。その結果、二本の『日本書紀』には楮紙が使われ、従来から舶載の白麻紙が用いられたとされてきた──私もこれまで、そのように書いてきた──『浄名玄論』も実際には楮紙であることが明らかとなった。特に『浄名玄論』の料紙が麻紙ではなく、楮紙であったことが確認できたことは、日本の書跡の料紙の歴史を考える上での大きなエポックとなるであろう。

 今回の出版では、全巻を展示することが出来ないような長巻の巻子本の表裏や展示中では詳細に調査することが難しい訓点も可能な限り再現された。まさに徹頭徹尾、巻首から巻末までを手にとって間近に観察できるようになった。これら三件は、研究者向けの出版とはなったが、後世に残る仕事に関わらせて頂いたと思う。

[No.183 京都国立博物館だより7・8・9月号(2014年7月1日発行)より]

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