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  5. 文化財レスキューの現場から―被災地で見つめ直した文化財の価値―

No.130

文化財レスキューの現場から―被災地で見つめ直した文化財の価値―

京都国立博物館/文化財防災センター 研究員

中屋 菜緒

令和6年(2024)1月1日の能登半島地震発生から、約2年が経過した。国立文化財機構では、令和2年(2020)に発足した文化財防災センターが中心となり、被災した文化財のレスキュー活動を継続的に展開している。私は同センターの職員として能登の被災地に入り、活動に携わってきた。ここでは、私が文化財レスキューの最前線で経験した二つのエピソードを紹介したい。

ガラス瓶
倒壊の恐れがある土蔵から、資料を救出してほしいという依頼があった。所有者は震災直前にこの土蔵を買い取ったばかりで、中に何があるのか把握できていない状況であった。土蔵が倒れる前に資料をすべて運び出すことになり、次々と資料が運び出された。所有者や文化財に携わる市町の職員とともに確認していた際、ある職員の手が止まった。「このガラス瓶、素晴らしいですね」。私には、どこにでもある牛乳瓶に見えた。しかし、そこには「〇〇牧場」の文字。かつてこの近くに存在したが、今は痕跡も残っていない牧場のものだった。その様子を見ていた近隣の住民は、「確かにここには牧場があった」と懐かしそうに当時を語ってくれた。
一見すれば廃棄の対象になりかねない「ガラス瓶」が、その土地の歴史を後世に伝える貴重な存在となった瞬間であった。

開祖様の掛軸
本堂が全壊被害を受けたお寺から、文化財を助け出すという現場での出来事である。瓦礫の山から文化財を探し出す作業は困難を極め、重機による瓦礫の撤去と並行して行った。このお寺には数件の市町指定文化財があり、レスキュー隊はそれらの救出を第一目標に掲げた。本堂の倒壊からかなりの時間が経過しており、資料は泥にまみれ、雨水で損傷していたが、目標の指定文化財を含む多くの絵画や仏具類を救い出すことができた。安堵する私たちに、住職は言った。「開祖様の掛軸が見当たらない。あれが、うちにとって一番大切なのです」。私たちは活動を再開し、ついにその掛軸を探し当てた。掛軸が無事であることを確認した時の住職の喜びに満ちた表情は、今も脳裏に焼き付いている。
指定文化財という公的な枠組みを超え、所有者や檀家の心の拠り所となっているものの重みを、肌で感じた出来事であった。

被災地という過酷な状況下では、財源や時間、人員、保管スペースや資材といったさまざまな制約があり、救い出せる文化財には限界がある。一方、救出対象の安易な取捨選択はできない。なぜなら、そこには所有者、自治体の文化財専門職員、そしてレスキュー活動に携わった全員の「復興への希望」が込められているからだ。
文化財レスキュー活動では、「どこまでを文化財と認めるか」という問題に必ず突き当たる。しかし、その問いに唯一の答えはない。だからこそ、文化財に関わる人々の「想い」に寄り添い、ひとつひとつの文化財に宿る価値を掬い上げ、後世に伝えていくことが私たちの使命であり、永遠の課題である。

[No.230 京都国立博物館だより4・5・6月号(2026年4月1日発行)より]

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