仏画
十二天は、密教における方位の神々である。四方四維の八方位に上下の二方、さらに月日を加えた十二方からなり、密教の修法空間(道場)を守護する役割を果たした。本作品は元来東寺(教王護国寺)にあった画像で、東寺の五大尊像とともに、宮中真言院の後七日御修法に用いられたものである。
各尊とも坐像で、両脇侍を伴った静的構成を示す。肉身は、柔和な慈悲相のものは朱線、忿怒相その他は墨線でかたどり、暈を加えてふくよかさを表す。着衣は種々に塗彩し、衣襞に沿った段暈(だんぐま)や片暈(かたぼかし)、白の照暈(てりぐま)を施した上、種々な彩色文様、七宝繋ぎ・曲線卍繋ぎ・立涌・斜格子などの截金文様で装飾する。色のトーンを階段状に変化させる繧繝(うんげん)彩色の技法や「紺丹緑紫」といわれる豊麗な彩色の組み合わせのの技法を充全に発揮されている。一具であった五大尊に較べてもかたちの固定化があまりなく、忿怒相の尊像などではむしろ躍動感がある。院政期仏画の傑作の名に恥じない完成度の高い作品である。
東寺の記録『東宝記』によれば、長久元年(1040)に新写された画幅が大治2年(1127)に焼失したため、五大尊・十二天を制作することになった。最初、覚仁威儀師に命じて小野経蔵本を基に図写させたところ、鳥羽院より「疎荒」であると非難されたので、今度は美作法眼(みまさかほうげん)に命じて仁和寺円堂本を基に再図させたという。本図はその再図本に相当するとみられる。制作年代がわかる貴重な基準作である。なお、風天と梵天のみは焼け残った長久本とする説もある。
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