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仏画
国宝
十二天像じゅうにてんぞう
基本情報
- 12幅
- 絹本著色
- (各)縦144.2cm 横126.6cm
- 平安時代後期 大治2年(1127)
- 京都国立博物館(A甲283)
承和2年(835)、空海の奏請によって正月八日から宮中真言院で7日間の修法が行われるようになった。これを後七日御修法という。十二天像は道楊を守護するために掛けられ、普段は他の道具類と一緒に東寺の宝蔵に収められていた。大治2年(1127)3月、東寺宝蔵は火災にあい、それまで使川されていた絵も焼失してしまう。この時、新調されたのが、本図である。最初、東寺長者勝覚の命で、東大寺僧の覚仁は、小野経蔵(勧修寺)に伝わり、宇治経蔵(平等院)に所蔵されていた弘法大師御筆様に基づいて調進したところ、烏羽院から「疎荒」との批判をこうむり、改めて仁和寺円堂後壁画に基づいて新写したという。前者を甲本、後者を乙本と区分しており、本図は乙本とみなされ、東寺に伝えられてきた。豊かな色彩模様と金箔を細く切った截金の地模様が目を奪い、貴族文化の爛熟期を代表する名品として知られている。