考古
慶長18年(1613)に今の京都市左京区上高野で古い墓が掘られ、石室の中から1枚の「位牌」が見つけられた。これが小野毛人の墓誌であった。その後、墓誌は元の墓に納められたが、明治年間に盗難にかかったこともあって、大正3年に保存のために取り出された。墓誌は鋳銅製で、文字を刻んだ後に鍍金している。文字は両面にあり、表に小野毛人が天武朝に仕え、納言の職にあって後の刑部卿で正四位に相当する地位にあったことを記している。しかし、この墓誌が作られたのは奈良時代になってからのことである。小野毛人は、かの遣隋使小野妹子の子であるが、墓誌に記された以上の事は分からない。
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