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魚を横から見る
教育室 研究員 水谷亜希
2017年07月25日
みなさんは水族館に行ったことがありますか? 京都国立博物館に一番近い水族館は、京都駅の西、梅小路公園のなかにある「京都水族館」です。特集展示(とくしゅうてんじ)「京博すいぞくかん」は、この京都水族館と一緒(いっしょ)に準備(じゅんび)をしました。
「京博すいぞくかん」で展示(てんじ)される作品には、たくさんの魚が登場します。水の中をすいすいと泳ぐ魚たちは、とても気持ちがよさそうです。色々な作品を見比(みくら)べていると、あることに気が付きます。それは「どこから見た魚を描(か)いているか」が、それぞれ違(ちが)うということです。
まずは室町時代に描(か)かれた「藻魚図(そうぎょず)」(図1)を見てください。大きな魚(カワヒラ)は、横から見た姿(すがた)です。小さなナマズは、白いお腹(なか)が見えているので、下から見上げているように感じます。つまり、水の中から見た視点(してん)で描(か)かれているのです。この絵を見ると、まるで自分が魚になって水中を泳いでいるような気持ちになります。
つぎは明治時代に描(か)かれた「遊鯉図(ゆうりず)」(図2)を見てみましょう。この絵は横幅(よこはば)が2メートルもある大きな絵です。水面にできる波紋(はもん)が描(か)いてあり、コイの背中(せなか)が見えるので、地上から池の中を覗(のぞ)き込(こ)んでいるように感じます。でもよく観察すると、横から見たコイや、小さなフナもいます(図3)。この絵は、地上から見た景色と、水の中から見た景色、両方を組み合わせて描(か)かれているのです。人間の視点(してん)と、魚の視点(してん)、両方を楽しむことができますね。
水の中にいる魚を、昔の画家たちはどうやって描(か)いたのでしょう。池や川、海の中をのぞいた時のことを思い出してみてください。波のない透(す)き通(とお)った水なら魚の姿(すがた)を見ることができますが、上からのぞくだけでは魚の背中(せなか)しかみえません。それに人間が近づくと、たいていの魚はすばやく泳いで逃(に)げてしまいます。魚は、動かない木や花、地上にいる動物と比(くら)べて、描(か)くのがとても難(むずか)しい相手です。昔の画家はきっと、水の上から目をこらして魚を見たり、釣(つ)り上(あ)げた魚を目の前に置いていろいろな方向から見たり、上手な絵をお手本にしたりと、さまざまな苦労をして魚を描(か)いたのでしょう。
現代に生きる私(わたし)たちは、水族館に行けば好きなだけ魚を観察することができます。水族館には大きな水槽(すいそう)があって、魚が泳ぐ姿(すがた)を、なんと真横から見ることができます。「泳いでいる魚を横から見る」というのは、実は特別な体験なのです。ガラスやアクリルといった、透明(とうめい)な素材(そざい)でできた水槽(すいそう)があるおかげで、私(わたし)たちは、びしょ濡(ぬ)れになったり息を我慢(がまん)したりすることもなく、魚と同じ目線で水の中を見ることができます。
そんな特別な体験ができる水族館は、いつごろ日本にできたのでしょうか。日本の水族館は、今から135年前の明治15年(1882)に、東京の上野につくられたものが最初だとされています。まだ水族館という名前はなく、「観魚室(うをのぞき)」と名付けられました。レンガでできた建物で、部屋の片側(かたがわ)にガラスでできた水槽(すいそう)が並(なら)べられました。部屋の中には照明がなく、水槽(すいそう)には外の光が差(さ)し込(こ)むようになっており、訪(おとず)れた人は、暗い部屋から窓(まど)の向こうを見るように、光が差(さ)し込(こ)む水槽(すいそう)を眺(なが)めたのです。はじめは海の魚の飼育(しいく)が難(むずか)しかったので、淡水(たんすい)のいきものが中心でした。京都では、明治28年(1985)に京都市の岡崎公園(おかざきこうえん)で博覧会(はくらんかい)が開催(かいさい)された時に、ウナギやコイ、フナなど琵琶湖(びわこ)の魚を展示(てんじ)する施設(しせつ)がつくられました。今の私(わたし)たちからすると、身近な魚ばかりで地味な展示(てんじ)のように感じますが、はじめて水中世界をのぞき見る体験をした当時の人たちは、きっと新しい世界の扉(とびら)が開かれたように、ワクワクしたに違(ちが)いありません。
「京博すいぞくかん」に展示(てんじ)されている作品のうち多くは、実はこうした「水族館」が誕生(たんじょう)する前につくられたものです。水の中をのぞき見るのが難(むずか)しかった時代に、人々はどんなふうに水の中を描(か)こうとしたのか、また、水の中にどんな世界を想像(そうぞう)してきたのか、過去(かこ)に思いを馳(は)せながら作品を見ると、新しい発見があるかもしれません。