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虎(とら)―見たことがない生き物を描(えが)く
教育室 水谷亜希
2022年01月02日
虎と日本人
もしあなたが、実際(じっさい)に見たことがない生き物、例えば「龍(りゅう)」を描いてほしいと頼(たの)まれたら、どうしますか? きっと、インターネットや本で、他の人がどんなふうに描いているか調べて、参考にするでしょう。龍がどこにすんでいるか、どんな性格(せいかく)をしているか、お話を読んで想像(そうぞう)を膨(ふく)らませるかもしれませんね。
龍と一緒(いっしょ)によく描かれる「虎」は、本当にいる生き物です。でも日本には野生の虎がいなかったので、昔の人は簡単(かんたん)に見ることができませんでした。江戸(えど)時代の終わり頃になると、ときどき、生きた虎が中国や朝鮮(ちょうせん)半島から連れてこられて、街なかで見世物になりました。でもそれまでは、多くの日本の人にとって虎は、龍と同じように、絵やお話の中だけの生き物だったのです。
身近にいない生き物なのに、虎は、日本の美術(びじゅつ)の中にたくさん登場します。虎がいた中国や朝鮮半島から伝わる、様々なお話や美術作品がとても魅力的(みりょくてき)だったから、日本の人たちも虎に惹(ひ)かれたのでしょうね。虎は、山の獣(けもの)たちを従(したが)える、強くて賢(かしこ)い生き物だと信じられてきました。それだけでなく、子を大切に育てる、愛情(あいじょう)深い生き物だとも考えられました。さらに、黄色と黒の、美しいしま模様(もよう)の体を持っています。強く、やさしく、美しい虎は、人々のさまざまな願いを込(こ)めて、美術の中に描かれました。
たとえば日本の武将(ぶしょう)たちは、自分の強さや立派(りっぱ)さを示すために、城(しろ)の襖(ふすま)に虎を描かせました。悪いものが入ってこないよう、お寺の襖絵(ふすまえ)に、魔除(まよ)けのための龍と虎が描かれることもあります。子が生まれ、家が栄えることを願って、虎の親子の絵が描かれることもありました。様々な身分の人が使う、道具や着物、アクセサリーにも虎は登場します。たとえば(図1)は、武家(ぶけ)の女の人が身に付けた帯(おび)です。金・黄・黒・緑……色とりどりの糸で刺繍(ししゅう)をして、虎と竹を表わしています。日本人にとって虎は、「身近にいない」けれど「身近にある」生き物だったのです。
虎を描く
「虎は竹林にすむ」と考えられたので、竹と虎はよく一緒に描かれます。京都の絵師、尾形光琳(おがたこうりん)(1658~1716)が描いた「竹虎図(たけとらず)」(図2)の虎は、とても可愛らしいですね。強くて勇ましい虎のイメージとずいぶん違(ちが)いますが、きっと、わざとそう描いているのでしょう。大きな頭や、足をそろえてお行儀(ぎょうぎ)よく座(すわ)る姿(すがた)が、なんとなく猫(ねこ)のようにも見えます。
この絵の他にも、日本には、猫をお手本にしたような虎の絵がたくさんのこされています。昔の人も気になっていたようで、江戸時代につくられた、こんな川柳(せんりゅう)が残っています。
猫でない証拠(しょうこ)に竹を書いて置き
「竹が一緒に描いてあれば、猫のような絵でも虎に見える」、そんな皮肉が込められているのです。この川柳からは「竹と虎」という組み合わせが、誰(だれ)でも知っている当たり前のことだった、ということも分かりますね。
絵やお話をもとに描くだけでは物足りず、本当の虎を追い求めた人もいました。「虎図(とらず)」(図3)を描いた岸駒(がんく)(1749/56~1838)は、リアルな虎を描くために様々な努力をしています。生きた虎を見るのが難(むずか)しいので、虎の頭蓋骨(ずがいこつ)に虎皮(とらがわ)をかぶせてスケッチしたり、虎の足の剥製(はくせい)を手に入れて、関節の位置や仕組みを調べたりしました。
でも残念ながら、目は猫をお手本にするしかなかったようで、昼間の猫のような縦長(たてなが)の瞳(ひとみ)で描いています。虎の瞳は、実際には丸くて、縦長にならないのです。
日本の虎の絵の中には、現実と想像が入り混じっています。昔の人が、どんな思いを込めて、どんな工夫をして虎を描いているのか、考えながら、じっくり作品を見てくださいね。