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高山寺の仏眼仏母像(国宝)(こうざんじのぶつげんぶつもぞう(こくほう))
美術室 泉
1999年10月09日
「学校の怪談」という映画のシリーズが人気を集めていますが、コワイ!と思うのは自分の背後(はいご)に何かが迫(せま)って来る感じがする時です。背後霊(はいごれい)というのもその類(たぐい)ですが、誰かを驚(おどろ)かそうと考えたら、後ろから近づくのが手っ取り早い方法です。これは頭の後ろには眼(め)が付いていない、後ろは見えないために起きる現象(げんしょう)です。
ヒトは通常、眼・鼻・口・耳・皮膚(ひふ)の五つの感覚器官(かんかくきかん)を持ち、その五感(ごかん)を活用(かつよう)して生きています。そこから受ける信号(刺激(しげき))を読み取って、コントロールするのは脳ですが、脳の中に五感の地図を描いたとすると、8割くらいは〈眼〉に取られてしまうといいます。ヒトにとって、それくらい眼の感覚が果(は)たす役割は大きいのです。
では、カミ・ホトケ(神仏)の世界ではどうでしょうか。超能力者(ちょうのうりょくしゃ)たちの集りのような神仏の世界でも、やはり〈眼〉の役割が異様(いよう)に発達したホトケが必要だったようです。
高山寺(こうざんじ)に伝わる「仏眼仏母像(ぶつげんぶつもぞう)」がそれです。ホトケは、ただでさえあらゆることを知る能力を備えています。そのホトケたちの中でも、千里眼(せんりがん)のように物事の本質を見きわめる力を持っているのが、この仏眼仏母です。「仏眼(ぶつげん)」とは文字どおりホトケの眼を意味します。「仏母(ぶつも)」というのは、ホトケの母というのがもともとの意味ですが、ここでは「悟(さと)りの母体(ぼたい)」と考えていいでしょう。失敗は成功の母(英語の諺(ことわざ))といったりするように、本質を見きわめるホトケの眼の働きは、悟りの母体となるものなのです。
画像をながめましょう。何層(なんそう)にも花びらが重なった白くて大きな蓮華(れんげ)の花の上に、仏眼仏母は印(いん)を結(むす)んでおごそかに坐(すわ)っています。顔の表情はやさしく穏(おだ)やかで、人々をいつくしむ眼差(まなざ)しが感じられます。すべてを見通すことのできる仏眼にとって悪戦苦闘(あくせんくとう)するヒトの生きざまは、きっと哀(あわ)れを誘(さそ)うものとして映(うつ)るのでしょう。頭上に戴(いただ)いているのは、智恵(ちえ)の王者を象徴(しょうちょう)する獅子頭(ししがしら)(獅子冠(ししかん)という)です。体も白く、着ている服も、坐っている蓮華の花も白く、この白色のひろがりがすぱらしい清涼感(せいりょうかん)をかきたててくれます。
ところで、画面をよく見ると、背景に文字のようなものが記されていることに気がつきます。じつはこの画像は、明恵上人(みょうえしょうにん:1173~1232)という立派(りっぱ)なお坊さんの守(まも)り本尊(ほんぞん)(念持仏(ねんじぶつ))でした。若い修行時代(しょぎょうじだい)から明恵はこの画像を前に、瞑想(めいそう)を積(つ)み重(かさ)ねていました。いつしか、明恵の体験の中で、釈迦(しゃか)を「父」、仏眼仏母を「母」とみなすような心理(しんり)がかたちづくられていったようです。明恵自身は仏母=悟りの母体という宗教的(しゅうきょうてき)な意味を理解していたに違いありません。しかし、「仏母」という文字面(づら)に引きずられて、仏眼仏母像に「母」をみることになったのでしょう。ここは理屈(りくつ)ではありません。わかっていながら止(や)められないのが、ヒトの性(さが)なのです。
明恵は自分が見た夢の記録(『夢の記(ゆめのき)』)をていねいに残しています。その中で、しばしば自分の念持仏=仏眼仏母を「母御前(ははごぜん)」と呼んでいます。画面の背景の文字は、この明恵みずから書き込んだものですが、その中に「母御前々々々」と何度も呼びかけている句(く)があります。まるで、明恵の声が画中にこだましているようで、耳をおおいたくなるほどの生(な)まなましさがあります。
耳といえば、明恵がこの書き入れを行った時には、すでに片方の耳を失っていました。建久(けんきゅう)7年(1196)明恵24歳のおり、修行上の悩(なや)みから、この画像を前にして片耳を傷(きず)つけてしまったのです。書き込みの中に「無耳法師」(みみなしほうし)とあるのは、自分のことを指しています。記録(きろく)によると、その時飛び散った血の一部が、白い蓮華の花にかかったとあります。ただ、その痕跡(こんせき)は残っていません。その時以前に本作品が制作されたことは確実で、12世紀末頃の作品と考えられます。
本作品の白色づくめの清涼感が、逆に修行時代の明恵を追いつめることになったのでしょうか。ヒトの心理は常に謎(なぞ)です。