- TOP
- 学ぶ・楽しむ
- おうちで学ぶ・楽しむ
- 博物館ディクショナリー
- 染織
- 世界を魅了(みりょう)した更紗(さらさ)—「シャム渡り」更紗から—
世界を魅了(みりょう)した更紗(さらさ)—「シャム渡り」更紗から—
工芸室 山内 麻衣子
2025年07月08日
みなさんは「更紗(サラサ)」という布をご存(ぞん)じですか? なんだか異国情緒(いこくじょうちょ)ただよう響(ひび)きですね。江戸時代(えどじだい)の書物には「更紗・佐羅紗(さらさ)・皿紗(さらさ)・紗羅佐(さらさ)・佐良佐(さらさ)」と記され、音に漢字をあてた、外国から来た言葉であることがわかります。それもそのはず、更紗のルーツはインドにあるからです。16世紀のオランダ人、リンスホーテンは『東方案内記』(とうほうあんないき)という本の中で、インド南東の海岸地方(コロマンデルコースト)では「最高級の木綿布」をサラーサSarasaと呼んでいたと記しています(更紗の語源(ごげん)については様々(さまざま)な説(せつ)があります)。木綿の布は今では身近ですから、「最高級」というと少し違和感(いわかん)があるかもしれませんね。しかし紀元前から12世紀頃までの長い間、木綿は主にインドだけで生産される珍(めずら)しい布でした。なぜなら、原料となる綿花がインドのような気温の高い地域(ちいき)で育つ植物だからです。

図1 赤木綿地菩薩文様更紗敷物
インド 19世紀 京都国立博物館蔵(柴田芳明氏寄贈)
木綿には絹(きぬ)や羊毛と比べて色が定着しづらいという性質があります。 しかし更紗は、別名「華布(かふ)」つまり「文様(もんよう)のある布」と呼(よ)ばれる通り、色鮮やかに文様を染(そ)めているのが特徴です。インドでは「媒染(ばいせん)」や「防染(ぼうせん)」などの高い技術により、洗濯してもなかなか色落ちしない文様染を古くから制作していました。木綿を染める技術が発達していなかった地域の人々にとってはまさにミラクル(奇跡的(きせきてき))。 大航海時代(だいこうかいじだい)に、南蛮船(なんばんせん)などに載(の)せられて、ヨーロッパや東アジア、そして日本にもたらされた「最高の木綿布=更紗」は、たちまちに世界の人々を魅了(みりょう)し、一大ブームを巻き起こしたのです。
もっとも、ブームがおきた理由のひとつには、輸出先の趣味(しゅみ)にあわせたデザインを売り込む、ヨーロッパの東インド会社の戦略もありました。なかには暹羅(しゃむ)(現在のタイ)王国のように、自国好みの更紗を直接インドに注文する例も出てきます。その一例が赤木綿地菩薩文様更紗敷物(あかもめんじぼさつもんようさらさしきもの)です(図1・2)。えんじ色(暗めの赤色)の布地に、合掌(がっしょう)する菩薩(ぼざつ)と、それを囲む炎(ほのお)のような飾(かざ)りが連続する文様が、黄色や紫色で全体に染めあらわされています。仏教国であるシャムの好みが表れていますね。菩薩のお顔やお姿をよく観察してみましょう(図2)。どうもそれぞれが微妙(びみょう)に異なっているように見えます。つまりこれらの文様はスタンプのような型押し(捺染(なっせん))ではなく、なんと全てが手描(てが)きなのです。3メートルを超える生地(きじ)に表された菩薩は1000近く。たいへんな手間暇(てまひま)がかかったことでしょう。このような手描きの染物は王族のための高級品とされ、主に宮廷の室内を飾ったり、時に象の背飾りなどにも使われたりしたようです。そして日本に渡ると「シャム渡り」と呼ばれて人気となり、京都ではそれをまねした「紗羅染(しゃむろぞめ)」が生まれました。江戸時代に出版され、各地の名物についても記している『毛吹草(けふきぐさ)』(1645年刊)という本には、紗羅染が早くも山城(京都)の名物となっています。

図2 赤木綿地菩薩文様更紗敷物(部分拡大)
インド 19世紀 京都国立博物館蔵(柴田芳明氏寄贈)
このように外国からやってきた更紗は京都の染織人(せんしょくにん)たちを大いに刺激(しげき)し、日本が誇(ほこ)る高度な文様を染める技術・友禅染(ゆうぜんぞめ)を生み出すきっかけとなりました。同じように、インドネシアではジャワ更紗、フランスやイギリス、ドイツ、オランダなどではヨーロッパ更紗が制作され、インド更紗のまねから、各国独自の技術とデザインを発達させました。インド更紗は世界の文様染の出発点ともいえるのです。
- 前のおはなし
- 染織 のおはなし一覧に戻る
- 次のおはなし